ヴァイパー、再びサルテへ。

シェルビー・コブラの血統にあるクルマ。


 と,考えるならば,レーシングを意識したクルマを出してくることは,ごく自然なことだったかも知れません。加えて言うならば,GTSの方向性は歴史のなかに提示されていた,と見ることもできるでしょう。


 ちょっとばかり歴史を紐解くと。


 キャロル・シェルビーさんは,オープン・ボディのコブラでFIA−GT選手権を戦っていました。フェラーリに対抗できるマシンを,と考えて,ACエースのエンジン・ベイに289キュービック・インチのエンジンを搭載した,“FIAロードスター”を持ち込んでいたわけです。このレーシング・マシンで,たとえばデイトナであったりサルテを走るとすると,やはり当時であっても空力特性面でディスアドバンテージを抱える(つまりは,最高速が伸びてくれない)ことになるわけです。そこで,シェルビーさんはクーペ・ボディを持ち込むことになります。“デイトナコブラ(シェルビー・デイトナ)”であります。このデザインを眺めてみると,GTS(と,レーシング・マシンであるGTS−R)のフォルムに重なる部分が見えてくるのではないでしょうか。



 今回は,フットボールを離れまして,こちらのリリース(SRTレーシング・オフィシャル(英語)をもとに書いていこう,と思います。


 さて。GTS−Rであります。


 この存在感が際立っていたのは,1998〜2000シーズンではないでしょうか。アメリカン・スポーツで,ファクトリー体制で欧州に,というとコーヴェットが思い浮かぶかな,と思いますが,このときはダッジ(ではありますが,欧州での活動ですから,クライスラーのバッジだったと思います。)もファクトリー体制でレース活動を展開していたのです。確か,マシン開発と実際のレース・オペレーションを担当していたのは,フランスに本拠を置くオレカだったと記憶しています。TS030の実戦部隊として活動しているレース屋であり,LMP2にカスタマー・シャシーを供給する技術屋集団ですね。彼らのバックアップを得て,急速に戦闘力を高めていくわけです。


 ですけれど,活動時期が残念ながら短期間でした。このリリースにもありますが,2000シーズン以降,13年ものブランクがあるのです。


 また,今回は体制に変化があります。オレカ社に代わってライレー・テクノロジーズ社との協力体制を構築,GTS−Rの開発を進めてきたのです。北米でのスポーツカー・レーシングはALMSとグランダムに分かれていましたが,ライレー社はそれぞれの技術規則に合致したカスタマー・シャシーを手掛けてきたコンストラクターであり,また各自動車メーカの依頼に応じてレーシング・マシンの開発を手掛ける技術屋集団でもあります。このリリースを見ると,ル・マン参戦そのものも確かに大きな目標であるものの,より重要なのは北米でのレース活動であって,そのために最適な体制へと変えた,ということのようです。


 2012年の8月,新たにGTS−Rを仕立ててレース活動を,という話が出てから,かなりの速度でル・マン再参戦へと漕ぎ着けたな,と感じます。それだけに,再参戦初年度から存在感を,というのはいささか過大な要求,かも知れません。知れませんが,かつて大きな存在感を示してきたマシンが再び戻ってくる,というのは間違いなく歓迎すべきことだろう,と思うのです。