初戴冠(第91回東京箱根間往復大学駅伝競走)。

平塚中継所の時点で,首位チームとの差は49秒。


 この49秒差を46秒差へと縮め,芦ノ湖の決勝点へと向かう第5区へとつないでいく。そして第5区では,この46秒差を縮めるだけでなく,4分59秒というアドバンテージを築いて復路へと向かうことができた。チームとして,どの区間を鍵として位置付け,どういう戦い方を狙っていたのか,その姿を垣間見ることができたのが,この第3区以降ではなかったか,と思います。


 往路優勝そのものも当然にうれしかったのですが,それ以上に総合優勝の可能性が現実的な視界として見えてきたような感じがして,(チーム関係者でもないのに)このタイム差がセイフティ・リードになるのか,それとも追われる立場になったことがチームにネガティブな影響を与えてしまって,このアドバンテージが削られてしまうのだろうか,などと,復路はまだまだ始まっていないのに,そんなことを思い浮かべてしまったのも確かです。チーム関係者でもない,単なるアウトサイドなのにちょっとした怖さを感じてしまったわけです。しかしながら,そんなネガティブな思考は,かなり早い段階でポジティブな意識で上書きされました。芦ノ湖畔を飛び出していった選手の姿,そして立ち上がりの走り方を見て,彼らは首位というポジションにプレッシャーを感じるのではなくて,首位で復路を戦えることの楽しさ,うれしさを存分に感じながら走っているように感じられたのです。首位のポジションを「守る」走り方には見えなかった。実際に区間首位,あるいは区間2位という成績を積み重ねて,フレッシュ・グリーンの襷を大手町の決勝点へと運び,10時間50分を切るタイム(10時間49分27秒)を記録してみせた。望み得る,最高の形での初戴冠ではないかな,と思います。


 ここ数年,年初のエントリは駅伝関係に集中しておりますが,今年も駅伝,と言いましても全日本実業団ではなくて,箱根駅伝について書いていきたい,と思います。いつもならば,俯瞰的にレースを振り返りながら書いていくところでありますが,タイトルにも掲げたように我が出身校の初戴冠でもあり,今回は青山学院視点で書いていこう,と思います。


 まずは,往路での戦い方に注目してみます。


 一般に,箱根駅伝で「エース区間」と言えば,鶴見中継所から戸塚中継所までの第2区,と認識されます。されますが,振り返ってみるに青山学院は必ずしも,エース区間を文字通りのエース区間(主導権を早い段階で掌握して,勝負を仕掛ける区間)として位置付けてはいなかったように感じられます。むしろ,駒澤大学東洋大学,そして今大会で言えば明治大学などの有力チームとのタイム差を意識して,首位を奪えるタイミングを狙えるポジションを取り続けることを戦い方の中心に据えていたのではないかな,と思うのです。たとえば,歴史的に意識される往路の軸が「第2区」であるとして,今季の青山学院はこの軸をもうちょっと広く,「第3区以降」と見ていたのではないか,と思うのです。そして,勝負を仕掛けるポイントを第5区にセットしていたのではないかな,と。と考えるならば,小田原中継所の時点で首位チームとのタイム差は46秒差,というのは狙い通りだったのではないかな,と思うのですが,この区間で2位とのタイム差を4分59秒へと広げ,往路優勝という結果を引き出したことは,個人的には少なからぬ驚きでした。


 であると同時に,復路を戦う選手たちには,この往路優勝という結果が大きな刺激として作用していたようです。


 ともすれば,4分59秒差というタイム差は,チームに「隙」を生じさせる要素になる,かも知れません。この隙が見えてしまえば,ライバル・チームはこの隙を見逃すことなくタイム差を詰めに来るだろうし,タイム差が詰まっている,という実感があれば,より「追い掛ける立場」の持っている強みが増していくことにもなるはずです。復路を戦う強豪チームは,青山学院がタイム差を守りに入ることをどこかで意識していたかも知れません。セイフティ・リードと思っていてくれれば,小さいなりにも付け入るべき隙が生じるはずだ,と。しかし実際には,付け入る隙を生じさせることはありませんでした。4分59秒差,というタイム差を着実に広げていくことができていたわけです。むしろ,焦りからリズムを崩したとすれば,それは追い掛ける側だったかも知れません。何とかしてタイムを詰めようとしてオーバーペースで立ち上がってしまって,逆に後半の走りに悪影響を及ぼしてしまう,というように。実際,復路を戦う選手の「攻める姿勢」はタイム差として見えているように思います。小田原中継所の段階ではタイム差を5分42秒差へと広げ,平塚中継所では8分21秒というタイム差を構築します。そして最終的には,2位に入った駒澤大学とのタイム差は10分50秒。長めのマクラでも書きましたが,望み得る,最高の形で復路をも戦い抜き,総合優勝という結果を引き出したわけです。


 中継を担当したメディアだけでなく,活字メディアでも取り上げられていたようですが,復路の選手たちは往路の成績で総合優勝という結果が導かれた,と言われないようにしよう,と言っていたとか。この意識が,4分59秒というタイム差を「守る」のではなく,総合優勝を奪いに行く,という意識,そしてさらなるタイム差を積み上げていくための原動力となっていたようなのです。個人的には団体競技,ではあるけれど,個人競技の側面も強く持っているのが駅伝という競技ではないか,と思っていますが,この「個人競技」の側面がポジティブな方向に作用していたのが今季の青山学院ではないかな,と思います。チームとしての結束は相当に強いものがあるようにアウトサイドからも感じられますが,強い結束と同時に,ひとりひとりの選手が持っている意識が強いことも感じられます。誰かひとりの選手が持っている強みを最大限に生かす,という要素が今季の青山学院,その戦い方の大きな鍵だっただろうことも感じられますが,この鍵だけでなく,復路を戦ったそれぞれの選手が,往路の戦いぶりに大きな刺激を受け,ベストを尽くしていったことが結果として,10時間50分を切るという快挙へと結び付いていったように思うわけです。


 いずれにしても。私が実際に青山キャンパスに在籍していたときには,箱根駅伝の舞台で青山学院のユニフォームを目にすることができるとは想像もしていませんでした。そんな状態だったのが,フレッシュ・グリーンのユニフォームを目にすることができるようになり,シード権を獲得できるようになり,出雲駅伝などで存在感を示すようになっていった。そしてついに,箱根を制するに至った。うれしい限り,であります。