本戦仕様か、予選仕様に徹底するか。

徹底したリアリストが,不思議と掲げてみせた理想。


 掲げた理想は,恐らく“フットボール・ネイションズ”に互角の勝負を挑むためには必要不可欠な要素となるでしょう。本戦仕様の基盤,と言えるかも知れません。


 前任指揮官が徹底してきたスタイルは,その掲げた理想を違ったカタチで表現したものでしょう。

 そして,前任指揮官はアジアカップという舞台においても同じスタイルを徹底しました。そして,ある種の壁を感じたようにも感じます。


 いまとなっては「仮定論」でしかありませんが,最も現実主義的に勝ち点を積み上げていかなければならない,結果だけが支配する予選に対してスタイルを微調整していったかも知れないと思いますし,戦術的な基盤を考えれば,仕掛けるタイミングを微調整することで,実質的なスタイル・チェンジを作り出したかも知れないと感じます。


 現任指揮官にとって,時間が圧倒的に不足しているのは間違いないでしょう。


 ただ,前任指揮官とまったく同じフットボール・スタイルが求められるはずもないし,求めるのも間違っている。むしろ,自らが得意とする形を最初から押し出しておくべきではなかったか,と感じます。


 ・・・いささか,マクラを長くしてしまいましたが。


 今回は,日経(ネット版)に連載されている大住さんのコラム,そしてブルー仕様の“エル・ゴラッソ”紙に寄稿された加部さんのショート・コラムをもとに代表の話など。


 いささか厳しい見方になりますが。


 バーレーン戦(アウェイ)で露呈したのは,本戦仕様にも特化していない,しかしアジアを戦い抜くために現実主義を徹底したスタイルも貫けていないということ。いささか中途半端な戦略しか描けていない,ということではなかったかと思います。


 前任指揮官が途中まで描いていたフットボール・スタイルを,本戦仕様の基盤として位置付けているだろうことは,大木さんをコーチング・スタッフへと招き入れたことからも想像できます。前任指揮官が,「日本化」というキーワードを持ち出したように,日本にとって何が主戦兵器になりうるか,と考えれば,導き出される解答にそれほどの違いは生まれ得ないと思うのです。その点,掲げた理想は間違っていないはず。


 ですが,ロードマップとして前置されるのは,「アジア予選」です。


 相手守備ブロックをいかにこじ開け,勝ち点を奪い取っていくか,という現実論を明確に意識しておかなければ,足下をすくわれかねない難しさを持っている,厄介な戦いです。


 確固たるスタイルを構築するための時間が圧倒的に不足しているのは間違いないのですから,リアルな方向から大木さん的なフットボール・スタイルへ,という道筋が描かれるべきだったと思うのだけれど,どこかでその順番が逆転していたように見えます。そのために,ポテンシャルを持った選手たちを呼んでいるはずなのに,チームのパフォーマンスへと直結させきれなかったのではないか,と。就任当初から,「脱オシム」という言葉を使いながら,実際にはバーレーン戦までイビツァさんが構築してきたフットボールに縛られてきてはいなかったか,と思うのです。


 指揮官が違ってしまえば,どうしてもスタイルが断絶するのは仕方ない。


 それより問題だと思ったのは,イビツァさんが築き上げたチームの基礎,その基礎を崩す方向に向かってしまったように見えること。走力という武器があったのだから,その武器をリアルな方向に生かすという考え方がなかった,ということがもったいないと思います。


 とは言え。


 大住さんの言うように,キリンカップで優先すべきは「結果」などではなく,チーム・ビルディングだろうと思うのです。そして,チーム・ビルディングの方向性は(理想を隠し持っているとしても)「現実主義的なチーム」,ということになるはずです。


 キリンカップに求めるべきは,結果ではなくていい準備。その準備は,予選を戦い抜くための準備にして,本戦仕様へとつながっていく準備。


 と,加部さん,大住さんのコラムを読みつつ思うのであります。