いつかどこかで。

決して,間違ったことを言っているとは思わないけれど。


 その言葉を持ち出すべきタイミングなのか,という疑問はありますね。


 同じ疑問を,違う競技(実際には,アソシエーション・フットボールから派生した競技ではありますが。)で目にしたな,と。ラグビー日本選手権・決勝戦後のコメントです。


 サンゴリアスの指揮官は,「リーグ戦にファースト・プライオリティを置いている」という趣旨のコメントを発しています。確かに,カップ戦は加速態勢をいち早く整えたクラブが駆け抜けやすいもの,と見ることもできます。総合力を厳しく問うリーグ戦が最も重視されるべきは当然のことで,その意味でこの指揮官のコメントは妥当なものでもあります。


 しかし,思い出してほしい。マイクロソフトカップは,「カップ戦」ではないのか?と。しかも,そのカップ戦に照準を合わせていたのではないか?と。


 レギュラー・シーズンで後塵を拝し,カップ戦でその関係を逆転させたに過ぎないのに,本来的なカップ戦においては「リーグ戦を重視している」などと言う。ダブル・スタンダードという批判を受けたとしても,仕方ないのではないでしょうか。


 正論であったとしても,タイミングによっては批判の的になり得る。


 こちらの記事(サンスポ)を読むと,そんな印象を持つのです。


 まずは前提になるべき話からはじめますと。イビツァさんのフットボールを再現しようとしたところで,そもそも無理なことです。


 たとえば,「イビツァ・メソッド」のようなマニュアルが作成されていたとしても,そのマニュアルを解釈し,実際のコーチングへと落とし込む時点で,イビツァさんの意図とは外れていくわけですから,100%の再現性を保証できるものではあり得ません。ましてや,そんなマニュアルは作成されてはいません。


 であれば,「踏襲」できる範囲にしてもかなり限定されるはずです。むしろ,分かりやすい「型」だけが残ってしまう可能性さえある。「型」だけが意識されるようになると,攻撃の機能性が落ちてしまう。


 となれば,本格的な「脱オシム」は就任当初の段階でもっと明確にしておくべきだったのでは?と思うのです。


 就任当初は言いづらい空気があったことも想像できますし,いつかは言わなければならないこと,だったとは思います。ですが,少なくともバーレーン戦後は適切なタイミングではないでしょう。


 ただ同時に。イビツァさんのアイディア,その出発点までを捨て去るわけにはいかないとも感じます。


 バーレーン戦でも見えたことですが,相手のストロング・ポイントを消し去ろうとして,自分たちのストロング・ポイントまでを抑え込んでしまうやり方がいいのかどうか。シンプルに再構築することはあるかも知れませんが,パス・ワークを主体として局面ベースでの数的優位を繰り返し構築しながら「個」を存分に引き出せるエリアにまでボールを持ち込む,というコンセプトは解釈による個体差はあるにせよ,恐らく共有されるべきものでしょう。


 さて。岡田監督は「戦略的なジャンプアップ」を意識すると意外にも脆さを見せることがあるような記憶があります。イビツァさんのエッセンスを吸収,落とし込もうとして,逆にやりたいことがぼやけたのかも知れません。


 少なくとも,このコメントによって“フリーハンド”は増したかも知れない。逆に,色を強く押し出したにもかかわらず「結果」が見えなければ厄介な状況を覚悟する必要もある。


 非難を浴びかねないタイミングに敢えて,スポーツ・メディアに対してこのようなコメントをしたのですから,「退路を断った」という意味に理解したいと思います。