UNITED WILL RISE AGAIN.
当時,FAは欧州カップ戦に対して冷淡だったと聞きます。
いまでは,欧州カップ戦の開催に伴ってリーグ・スケジュールを柔軟に動かすなどの対応をしますが,当時は,決して国内リーグのスケジュールを動かすことはなかったのだそうです。
恐らく,対抗意識がその源流にはあったのではないでしょうか。
欧州カップ戦(欧州チャンピオンズ・カップ)のフォーマットを構築したのは,フランスのスポーツ紙,“レキップ”の記者であったガブリエル・アノー氏と,彼の同僚であるジャック・フェラン氏でした。代表チームではなく,クラブ・チームによって争われる欧州規模でのトーナメントを思い描いたわけです。
この構想に対して,FAは否定的な態度を取っていたようです。フットボール発祥の地であるイングランド,自分たちこそが中心である,という意識がどこかにあったでしょうし,プライドもあったでしょう。ゆえに,フランスが提唱したトーナメントに出て行く理由がない,と。
そのためか,1955〜56シーズンに開かれた第1回大会にはチェルシーFCが出場権を持っていたのですが,FAからのかなりの圧力(当然,カップを奪うという意味での圧力ではなくて,参加辞退を促すという意味での圧力です。)があったのだとか。そのため,第1回大会は16クラブで争われるはずが,実際には15クラブの参加という変則的なものだったわけです。
この大会に魅力を感じ,野心を抱いたのが当時のマンチェスター・ユナイテッドであり,このクラブを指揮していたマット・バスビーでした。
ユナイテッドはFAからの圧力をはねのけ,欧州カップ戦への参戦を強行します。当然,孤立主義をとっているFA,国内リーグ戦は欧州カップ戦を考えることなく試合日程を組んでいますし,であるならば試合日程の変更などの配慮はしませんから,ユナイテッドは強行日程で欧州カップ戦と国内リーグ戦を戦っていくことを余儀なくされます。この強行日程が,マンチェスター・ユナイテッドを根幹から揺るがすことになる事故の遠因となるのです。
今回は,こちらの記事(サンスポ)をもとに書いていこうと思います。
オールド・トラフォード競技場の壁面には,時を止めた時計が掲示されています。ユナイテッドを根幹から揺るがす飛行機事故,その事故発生時刻を示した時計です。
レッドスター・ベオグラードとのアウェイ・マッチを戦い,QFを戦い抜いたクラブがイングランドへと戻る途中のミュンヘンで,この事故は発生します。この悲劇によってバスビーの欧州制覇という野望は実質的にペンディングされるのみならず,バスビー自身も生死の境をさまようことになります。ダンカン・エドワーズ選手を筆頭に“バスビー・ベイブス”と呼ばれるクラブの中心選手を失い,クラブも大きく揺らいでしまいます。当然,主力選手を欠く状態では欧州カップ戦を勝ち抜くことはできず,そのシーズンの準決勝で敗退を余儀なくされるのです。
ユナイテッドを揺るがせた悲劇から,50年が経過しました。
犠牲者を追悼し,悲劇を忘れないために,ウェンブリー競技場のピッチで,オールド・トラフォード競技場で,そしてミュンヘンでも祈りが捧げられたとのことです。
このことを思うとき,ユナイテッドにとって最も意味あることは「そこにクラブがあり続けること」なのかも知れない,と感じます。
1990年代以降の歴史だけを見れば,ユナイテッドには光だけが差し込んでいるようにも思えます。ですが,ユナイテッドは意外なほどに浮沈を繰り返しているクラブです。ミュンヘンの悲劇のようなアクシデント,そして降格。それでも,クラブはあり続けた。
「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれる,この飛行機事故はあまりにも悲しい事故ですし,決して忘れてはならないことだと思いますが,同時に「クラブがそこにある」ことの意味を思い起こすためのきっかけにもなってほしい,と思うのです。
・・・タイトルに掲げた言葉は,この事故が発生した当時マンチェスター・ユナイテッドFCのチェアマンであった,ハロルド・ハードマン氏の言葉です。この短いセンテンスは,単なる未来形で語るべきものではないでしょう。「何があろうと,再び立ち上がってみせる」という強烈な意思を,端的に宣言した言葉だと思います。
その意思が,欧州制覇として結実するまでには10シーズンを要します。
そして,このときにチームを率いていたのは,マット・バスビー。あのときと同じように,生え抜き選手を主体にしたチームで,ベンフィカを下すのです。そのときに出場していたのは,ミュンヘンの悲劇をバスビー同様に経験したボビー・チャールトン。そして,デニス・ローやちょっと前のエントリで題材にもしたブライアン・キッド。ボビー・チャールトンさんはクラブのエグゼクティブですし,キッドさんは90年代の“ゴールデン・エイジ”,その基盤を構築したコーチです。
キッドさんが育てた選手たちがサー・アレックスの薫陶を受け,再びビッグ・イヤーを掲げる。歴史だな,と思いますね。