Triumph, Twice.

カップ・ウィナーとして国立霞ヶ丘に足を踏み入れ,その立場を譲ることなくバルコニーに再び立つ。


 物理的には2007年初戦と言うべきかも知れないが,2006シーズン最終戦として,「勝負強さ」に徹底してこだわってきたに違いない浦和らしさが存分に表現された,カップ戦決勝だったと思う。


 アンチ・スペクタクルだったかも知れない。リアリスティックなフットボールだったかも知れない。また,部分的であるにせよ,守備ブロックを崩されたという事実は揺り動かしようがない。だが,リアリスティックだったがゆえに,相手のアウトサイドを効果的に抑え込み,最終的な局面で数的優位を構築させなかった,という見方も成立するように思う。


 いずれにせよ。1−0という結果を引き寄せたのは間違いないこと。


 浦和にとって,ベスト・パッケージを構築できなかったチーム・コンディションにあって,天皇杯というトーナメントを戦う中で強烈なまでのリアリズムを身に付けた,というのは重要な要素になるのではないか。ACLを見据えるとき,エレガンスだけでファースト・ラウンドを勝ち抜けるとは思えない。強烈な攻撃力だけではなく,局面によってはゲームを積極的に壊しにかかる。そんな現実主義的な意識も重要なものとなってくるに違いない。また,“Not our day”であろうとも,結果をしっかりと引き寄せていく姿勢も。


 そんな,「その先」にとって大きな意味を持つゲーム。そんな印象がある。


 ・・・細かいことは,あとで書いていこうとは思っていますが,今回はちょっと「浦和」というクラブを追いかけている立場を離れて,単なるフットボール・フリークとしてはどう見えるのか,ちょっと書いておこうかと思っています。でありますれば,本筋とはちょっと離れた話になりますので,ちょっと畳ませていただきます。


 ・・・ひとりのフットボール・フリークとしては,どうしてもスッキリしない凱歌に感じてしまうところがあります。


 もちろん,ここでは何度も書いているように,フットボールにはスコアという絶対基準があるのだから,その基準をベースに考えるべきことは当然ですし,何よりも,敗戦によってすべてが終わってしまうのがカップ戦です。その決勝においては,リーグ戦以上に慎重な立ち上がりを見せ,リーグ戦以上に守備重視な戦いを展開することだってあり得ない話ではありません。「カップ」を奪取するためには,スペクタクルとリアリズムのバランスを,リアリズム方向へと傾けることが当然と見るべきだろうと思っています。


 それでも決定的な局面を考えれば,G大阪サイドに勝機は転がっていたと見るのが妥当でしょう。その勝機を最終的な部分で摘み取ってくれた都築選手に感謝すべきゲーム,という見方が,さらに妥当なのかも知れません。


 ゲーム全体を俯瞰してみれば,間違いなくG大阪にとって見れば“Not our day”と表現すべきゲームだったでしょう。対して,浦和にとっては相手の鋭いカウンター・アタックにひたすら防戦を強いられていたゲーム。その守勢を跳ね返すきっかけとなったのは,攻撃面にあってはやはり“フルコート・カウンター”というDNAを最もよく知る岡野選手であり,最後方でG大阪の攻撃を食い止めてきた都築選手,ということになるでしょうか。今日は彼らの日,のような感じがします。


 ただ,準決勝あたりから浦和のスタイルがボール・ポゼッションから相手を積極的に崩していくという方向性を感じさせるものへとなりつつある。


 スペクタクルとリアリズムがバランスできるかどうか。すでに,そういう要求を突き付けられるところにまできたな,という感じも同時にします。