Frame rules. However,・・・.

この間,MVアグスタのことをちょこっと書いたか,と思います。


 すっかりフットボールにかかわる話以外を書かないかのようなブログになっているにもかかわらず,忘れた頃に突然変異的にまるっきり関係ないことを書きたくなるのが性分なのですが,このMVアグスタに関してはちょっとした意味を込めたつもりでもあるのです。


 それが,今回タイトルに掲げた“Frame rules.”ということです。


 バイクの運動特性を真剣に考えた結果として,マッシモ・タンブリーニさんはひとつの正解を導き出したのだとか。フロント・フォーク,スイングアームの位置関係を適正に保ち,同時にエンジンという重量物を最適な位置へと配置するために,フレーム・ディメンションを追い求めた。その結果として,エンジンはこのフレームに搭載するための,最適なサイズを持ったものとして新規設計されたのだといいます。エンジンが先行していたのではありません。フレームがすべての要素を決定付けるものとして位置付けられたのです。クルマの世界で言えば,シャシー・エンジニアリングによってアドバンテージを築き上げようとする,ロータスのようなやり方でしょうか。


 このアプローチ,どこかで見たことがあるのではないでしょうか。


 イビツァ・オシムさんのチーム構築アプローチは,どちらかと言えば最適なフレーム・ワークを見つけ出そうとする,タンブリーニさんのような感じがするのです。プレイヤーという各要素が持っているパフォーマンス,そして持っているはずのポテンシャルを最大限に引き出すために,最も適しているフレーム・ワークはどのようなものなのか,という観点が基礎にあるような感じがするのです。


 対して,前任指揮官の基本的な発想は,現状考えられる最高の各要素を集め,その各要素によってディメンションを決めていく,という技術アプローチのように見えます。同じように,クルマで例えてみるならば,強烈なエンジン性能によって相手を凌駕しようという,かつてのフェラーリであったりホンダのアプローチとどこか似ているかも知れません。


 どちらが正解,ということはあり得ないと思います。


 フレームだけでモーターサイクルが作れるわけでも,また逆に,エンジンだけでモーターサイクルができるわけでもないからです。ハッキリ言ってしまえば,最終的な目標が,「優れたモーターサイクルを作り上げる」という点でブレがないのであれば,どんなアプローチを採用しようとも行き着く先は誤差の範囲内ではないか,と思うからです。高峰を攻略するのに,南側ルートを使うのか,それとも北側ルートを使うのか,というくらいの差でしかないだろうと感じるのです。
 

 ただ,前任指揮官は,あまりにもフレームに対する理解が浅かった。


 ひとつひとつの要素を最適に,というのは「部分最適」という発想に陥りがちであり,全体がまとまったときにどれだけのパフォーマンスが発揮できるのか,という部分での検証が難しくなってしまう。そのために,熟成がある時点から進まなくなる,という事態に陥ったのだろうと思いますが,俯瞰的な視点を失っていないならば,決して間違ったアプローチではありません。


 タンブリーニさんにしてみても,F4に搭載するエンジンに対する要求は相当高かったはずです。実際にライディングしたテスト・ライダーさんのインプレッションを読んだことがありますが(買える財力もない私が,試乗しようという度胸はありません。当然ながら。),高回転までシッカリと吹け上がる,それでいてモーターのように無機的なものではなく,官能性を持ったエンジンだといいます。フレームを最重要課題として位置付けながらも,決して要素を軽視しているわけではない。“However”に続くフレーズが用意されている,と見るのが自然でしょう。


 ならば,サッカーマガジン誌(9月26日号)の表紙を飾るフレーズ,

 日本代表にファンタジスタは不要なのか。


という問いかけには,自然と解答が出ているような感じが,私にはします。ただ,いまはフレーム開発の時期にあてているのさ,という指揮官の呟きが聞こえるような気もするし。