変わらぬものを。

騎馬警官に対して悪態をつき,開門が遅ければチャントをがなり立てる。


 「燃料補給」を道すがらのパブでするのはいいとして,彼らの“Petrol”を収めるパイント・グラス,その破片が道端に散乱していたり,プラスティック・グラスがあらゆるところに放置されている。


 そんな「らしい」雰囲気を存分に(ちょっと苦笑混じりに)味わいながら,少しずつスタジアムに向かって歩いていくと,日本ではほとんど見かけることのない“Turnstile”(回転木戸)が見えてきます。普段は木製の扉,それもひとひとりがギリギリ通り抜けられるかどうか,という程度の扉がしっかりと閉められ,ちょっと変わった外壁のような雰囲気を漂わせている部分こそが,実際には競技場への正面玄関,ということに不思議さを感じます。


 マッチデイになると,ちょっとペンキが剥げていたり,何度もリペイントを重ねたためか木の表情が薄れがちになっている扉が開けられ,恐らく逆回転防止装置が付いている金属パイプ製の回転扉ととチケットを確認する係員のためのスペースがはっきりと確認できます。ちょっと薄暗いような感じのところで係員にチケットを渡し,半券を受け取るとちょっと重い感触の回転扉を押す。


 そこにあるのは,「日常と非日常が複雑に折り重ねられた場所」です。


 古さを感じさせる,ルーフが視界に迫らんばかりのスタンドだろうと,モダンな構造を持ったスタンドだろうとその目の前に広がっているのはピッチという非日常の空間です。サポータは期待感を表情に表しながらキックオフの瞬間を待ち,どこからともなくチャントがはじまる。そのチャントが瞬く間にスタジアムを包み込み,スタジアム全体がスピーカー・ボックスになったのかと思うような雰囲気を作り出す。


 確かに非日常の空間なのだけれど,彼らの日常には“フットボール”がしっかりと根を下ろしている。そんなことを実感します。


 単純にクラブの勝敗だけを興味としてスタジアムに足を運んでいるわけではない。


 確かに勝敗が大事な要素であることを否定するつもりなどありませんが,それだけを追いかけながらシーズン・チケット,その権利を更新し続けることなどできないと思うのも確かです。クラブの中に「変わらぬもの」を見い出し,そして自分の中にも「変わらぬもの」があり続けていることを確認しにきている。そんな感じがしますし,そういう雰囲気を日本の競技場も漂わせてきているのではないか,と思います。


 ディビジョン1とか,ディビジョン2だとかというカテゴリの話でもなければ,リーグ・テーブルの上位に付けているか下位に沈んでいるかという話でもありません。成績などよりも圧倒的に重要なことが根付いてきていることこそが,フットボールが日常にうまく組み込まれてきた証拠になるだろうと思いますし,「100年構想」の中身はそんなところにあるのではないかと思っています。