エンジニアリング。

JOCのひとたちがしている(ように少なくとも感じられる)誤解。


 それは恐らく,スポーツ・メディアに携わるひとたちも同じなのではないかと思っています。


 期待されていたトップ・アスリートが予想外の成績に終わった。


 そのことを大きく取り上げるのはある意味,仕方ないことかも知れません。各地を転戦して戦われる世界選手権,あるいは日本選手権などの大会とは異なり,「4年に1回だけ」という希少性のために,その大会価値が比較にならないほど高くなってしまうからです。


 しかし,彼らの実力をしっかりと把握しているメディア関係者がどれだけいるでしょうか。


 彼らが主戦場としている世界選手権,国内で開催されている競技会でどんな活躍をしているのか。そして,どういうポジションを築いてきているのか。継続して競技を取材するなかでそれらのことが理解できていれば,オリンピックでの成績がちょっとした不運が影響したものなのか,それともベスト・パフォーマンスを発揮したうえでの結果なのかが見えてくるはずです。となれば,メダルだけが価値基準となった報道にはならないはずです。


 NHKアナウンサーで今回のオリンピックのコメンタリーを担当していた刈屋さん。彼が荒川選手に向けたコメントは本当に温かいものだったように思います。確かにゴールドメダル獲得の興奮も伝えていたけれど,同時に彼女がフリー演技で叩き出したスコアが“パーソナル・ベスト”に達したことをしっかりと伝えていました。単に彼女は「勝負」に勝っただけではありません。自分のベストを,4年に1度の大舞台で表現することができた。競技者であり,同時に表現者でもある彼女にとって,PBを叩き出してのメダル,ということは大きな意味があるに違いない。そんな部分を,刈屋さんのコメントは示しているようにも感じます。


 そういう視点をすべてのスポーツ・メディア関係者が持っていたと言えるでしょうか。疑問が残ります。同じことを国立霞ヶ丘でも感じることになるとは思いませんでした。


 建築物を見るときに,どうしても表面的なデザインに目がいってしまう。仕方ないことかも知れません。しかしよく考えてみれば,斬新なデザインを可能にするのはしっかりとしたエンジニアリングの裏付けがあってこそのこと。なかなか表面的には理解できないエンジニアリングが,実際には建築物を成立させる最も重要な要素であるはずです。以前も書いたことがありますが,代表チームという上屋構造物を支えている基礎構造はリーグ戦が作り出しています。代表チームのためだけにリーグ戦が存在しているわけではない。そういう視点が抜け落ちた行動をしている限り,メディアは「本当のリーグ戦の魅力」に近付くことなどできない。


 フットボーラーだけではない。サポータ,ファン,そしてクラブに関わるすべてのひとびと。


 “Matchday”が特別なものとして感じられているひとたちの心こそが,実は代表チームの強さを支える源泉だと,私は信じています。そんな関係が理解できないようではADを申請する意味もないし,JFAやクラブからビブスをもらう意味はないでしょう。自分たちもフットボールを愛している仲間だと言うならばなおさらに理解していてしかるべき話だと思います。


 もっと自分たちの国で戦われているリーグ戦に敬意を払ってほしい。そう思わずにはいられません。