魅力を伝えるということ。

QFでカナダ,アメリカという強豪が敗退を余儀なくされたことは少なからず驚きではありましたが,同じ北欧勢同士のカードとなった決勝戦はなかなか見応えのあるゲームでした。


 やはり決勝戦ともなると,どんな競技でも(特に,得点を争うチーム・スポーツでは)受ける印象はある程度相似形を描くように思います。


 リスクを背負って攻撃を仕掛けるよりも,守備応対を安定させるところから反撃のチャンスをうかがう,というスタイルに落ち着くようです。ただ,アイスホッケーでは時間退場に伴う“パワープレー”がほぼ例外なくありますから,数的優位の時間をどれだけチャンスに直結させることができるかという部分がバイタルです。その点,フィンランドは数的優位のタイミングに攻めきれなかったような感じがします。


 オリンピックの舞台はもちろんのこと,NHLのゲームでも感じることでありますが,トップレベルのゲームを見るとやはりアイスホッケーも面白いよな,と正直思います。相手の攻撃を受け止めてから反撃に入るそのスピード感はバスケットボールのようであり,局面での激しい攻防はラグビーフットボールのようでもあります。そして,細かいパスワークはフットボールの要素を感じます。ちょっと慣れるまで,パックに視線が追い付かないときがありますけどね。


 そんなアイスホッケーという競技ですが,残念ながら日本チームはオリンピックには参加しておりません。しかし,決して弱いと言うほどでもありません。日本のランキングは思うほど低くはないのです。2005年ワールド・ランキング(IIHFオフィシャル・PDFファイル)を見ますと,日本は20位にランクされています。アイスホッケー世界選手権のカテゴリーで言えば,最高ランクからひとつ下に位置する“ディビジョン1A”に属していますが,オリンピックの舞台がとてつもなく遠いというほどの位置ではありません。トップレベルのホッケー・ネイションではないけれど,その立場に割って入ろうとする第2グループ,その上位陣に名を連ねているというイメージでしょうか。


 それでも,オリンピックという舞台に立てなければ競技自体のプロモーションがうまくいかないし,たとえ出場を決めたとしても競技自体に対する注目が「一過性」のもので終わり,長期的なプロモーションがなかなか成立しない。アイスホッケーに限った話ではなく,冬季五輪の対象となる競技全体にある程度当てはまる話でしょう。


 アイスホッケーに限らず,アルペンにせよノルディックにせよ,魅力のない競技などないと思います。ただ,魅力の本質がスピードにあるのか,テクニックにあるのか,それとも頭脳的な部分にあるのかという違いがあるだけで。


 しかしながら,すべての競技がプロフェッショナルとしての活動を許容するものかと問われれば,難しい側面もあると思います。どのように競技の魅力を見ているひとに訴え,支えてもらえるように努力していくのか。そんな部分から工夫をしていかないと競技自体の発展が難しいのではないか,と感じる部分があります。


 JOC関係者は選手派遣数の縮小を含めて「戦う集団」への転換を図るということをコメントされているように聞き及んでいます。そのことも確かに重要でしょうが,もっとほかにやるべきことは残っているはずです。


 たとえば,野球がしっかりと日本に根を下ろした最大の理由を考えてみてほしいのです。実際にプレーしたことのあるひとがどれだけいるのか,ということを考えてみて欲しいわけです。裾野が広がらなければ,より高いピナクルは作りようがないのですから。ピナクルを作り上げようとしても,独立してつくれるわけはない。そのピナクルは裾野があるからこそ作れるのですから。競技の裾野にしっかりとした目線を送らなければ,決して事態は好転しないはずです。デットマール・クラマー氏が指摘したように,“20年後”やそれ以上に先のことを常に見据えておかなければ「継続的な強化」は成立しないように思えるのです。「長野の遺産を食いつぶした」などと自己分析をしている暇などないはずです。


 トップレベルを支えるのは財力だけではなく,競技を皮膚感覚で理解してくれるひとの数も重要なファクタであるはずです。JOCのひとたちの話ははっきり言って,相当程度ズレているように感じます。メダルの数などよりもはるかに重い課題を突き付けられたのが今回の大会ではなかったか。そんな感じがするわけです。