杜氏の感性。

お酒の個性を決めるものは何でしょう。


 お酒にもいろいろありますが,日本酒を例に考えてみることにしますと。


 まずは水でしょう。言い換えれば,蔵元がどういう場所にあるのかということと密接に関連しているように思います。日本酒の個性は最終的に,水に帰結するという見方をするひともおられます。それほど重要な要素を水が握っている,と考えてもいいでしょう。そして,もうひとつの柱が原材料である米であるはずです。どういう品種が使われているか,そしてそのお米の出来が良いのかどうかということは酒の個性を決定付けるもうひとつの要素であるように思います。


 とまあ,ここまではシロートのワタシでも何となく分かること,であります。


 ホントの意味で個性を決めるのは,蔵元のスタイルを熟知し,そのスタイルを大きく崩すことなく水と米の個性を100%引き出すべくテクニックを駆使する杜氏の感性ではないか,と思うところがあります。つまり,「天・地・人」のどれが欠けても傑作と呼ばれるものはできないのではないかと感じるわけです。


 与えられた条件だけでも「一定程度」良いものはできるかも知れない。天候に恵まれ,原材料となる農作物が豊作となれば傑作への可能性は高まる。
 しかし,毎年条件が一定のままだとは言えないわけです。X年産の日本酒は,ほかの蔵元のお酒と違うのは当然として,Y年に醸された,同じ蔵元のお酒とも違う。1年1年,違ったものになるはずなのです。変動のなさそうな水だって,降雪量が多かったり夏の降雨量が多ければ微妙にその風味を変えるだろうし,原材料の出来によってもお酒の味は違ってきてしまうはずです。言ってみれば,いままで蔵元が築き上げてきた伝統が悪条件によって崩される可能性があるわけです。そのときに,最後の防波堤となるのが杜氏を筆頭とする人間の力だろうと思います。彼らの経験,知識やテクニックが悪条件を補う大きな要素であり,お酒の個性を決めるもうひとつの大きな要素だろうと思います。
 もちろん,条件が整ってはいないのですから,最も美味しいときに比べればどこかに違いを感じるはずです。それでも蔵元が作ってきたイメージから大きく外れることはない。どんなに条件が悪くとも,蔵元の伝統の味に近付けようとする執念のようなものがお酒の味を支える「目立たないけれど大きな要素」であることは,『神の雫』原作者である亜樹さんが主張しているところだし,ワタシもまったくの同感です。


 いつもJFAから発表されるリリースを見てどこかに感じる違和感は,杜氏であるはずの指揮官であったり蔵元であるJFA,彼らの感性がはっきりと見えてこないからかも知れません。