ルートマスターのことなど。

当時,私が住んでいたフラットから2〜3分の距離に停留所はありました。


 ウェストボーン・パーク駅(ラドブローク・グローブ)からリヴァプール・ストリート駅まで。


 考えてみるとかなり長い路線ですが,結構観光スポットをおさえている「実用的な観光路線」のような感じの23番路線であります。マーブル・アーチからオックスフォード・サーカス。リージェント・ストリートを抜けてピカデリー・サーカス,そこからトラファルガー・スクエアへ。高等法院前からセント・ポール,でありますから。そんな路線の停留所が,近くにあったのです。


 いつもならば,停留所がある大通りを渡って,ちょっと歩いたところにあるサークル・ラインの駅を使ったり,ハイド・パーク横の大通りに面しているセントラル・ラインの駅まで歩いて,チューブを使っていました。ですが,週に何回か時間的に余裕を持って目的地に行けることがあって。その時にはノンビリとダブルデッカーの2階席に座って,大都市にしてはまだビルの稜線が低いロンドンの街並みを楽しみながら,その目的地に通っていました。


 思い出してみると,当時からめちゃくちゃ古いクルマではありました。


 デッキから2階に上がる階段は結構急だし,乗り込んだ全員が着席する前に車掌氏が運転手氏に「発車オーライ」ということを示すベルを鳴らすものだから,急加速にあって階段の途中で車体に寄りかかってしまうようなことも結構多かったような記憶があります。また,1階席,2階席ともに天井高がそんなに高くないので,基本的に座って乗るバスだな,という印象です。


 席に着いてからも結構「手作り感」のあるクルマでありました。しっかりマスキングをしてからペインティングしないものだから,本来メッキでピカピカに光っていたはずの窓枠にハミ出すかのようにペンキの跡はあるし,ハケの運行に慎重さが足らなかったのか,緩やかなアーチを描いている天井には削り出しのヘアラインのような筋が残っているし。でも,不思議と和む空間ではありました。


 反対に古びていない部分,と言いますか,新車だった当時としては「時代をジャンプした設計」だったのではないか,と思うのはトランスミッションです。


 基本的に運転席は独立している設計のために,どういう運転をしているか見ることは難しいのですが,運転手氏がサービスなのか,目隠しのシェードを上げて運転してくれることがあって,その時に気が付いたことです。今でこそ,日本のバスにもオートマチックのクルマが増えてきていますが,ルートマスターはすでにセミATとフルATを併用するトランスミッションだったのです。ギアチェンジをハッキリと乗っているひとに伝えるミッションではありますが,確かにAT的なエンジンの回転落ちでした。コーチワークもどこか,レシプロエンジンを搭載したヒコーキのようでもあるし。想像するに,ルートマスターが運行開始になったときには,かなり先進的なメカニズムに驚いた整備士さんも多かったのではないでしょうか。今でも決して色褪せていないメカニズムだと思います。


 あと,今でも憶えているのは,ちょっと買い物にオックスフォード・サーカス方面に出た帰り道,チューブを使わずにバスで帰ろうと停留所で待っていると,見慣れない濃緑色に金色のモールディングの施されたバスがやってきました。表示板を確認すると“23”の番号が。反射的に乗り込んだのですが,そのダブルデッカーは観光バスのように2階がオープンデッキになっていたのです。ああいう面白い車両も現役で路線バスとして走っている,ということに妙に感心した覚えがあります。


 ・・・一気に書いてきてしまいました。


 ちょっと旧聞に入りますが,ロンドンの旧型2階建てバスが引退(YOMIURI ONLINE)を読んで,ちょっと書いておこうと思ったのです。


 すでに私が住んでいた頃から,車いすの乗客の方への配慮がないということで,ルートマスターの早期引退を求める声があったことを憶えています。私が日常的に使っていた15番路線や23番路線,ではなくて,7番路線などでは現代的なダブルデッカーが走り出していた,そんな時期ではあります。けれど,まだまだウィークデイにはルートマスターの姿があったのも確かです。BBCだったか,ニュースで自分の手首とルートマスターのデッキ部分にある手すりを結び付けて,ロンドン市交通局はもっと積極的にバリアフリーなバスを導入すべき,との抗議行動が展開されていたことを報道されていたこともありました。それだけに,

 ただ、車イスでは乗り込むことができず、障害者に配慮した公共交通機関を2016年までに整備するよう求めた欧州連合EU)統一基準はクリアできない。車両故障や、飛び乗り・飛び降りの事故も多く、「年間1人は死者が出る」(市交通局)点も、時代にそぐわなくなっていた。

 

という記事のコメントには深く頷かざるを得ない部分も感じてはいます。


 だけど一時期,「生活の一部分」となっていたものが一部路線(“ヘリティッジ・ライン”と呼ばれる,9番路線と15番路線の一部区間)をのぞいてなくなってしまうというのは,やはり寂しいな,と思うのです。


 そんなことから,今回はちょっと取りとめない思い出話を書かせてもらいました。