Size (System) does not matter.

屋号にちなんで,ちょっとオイルの焦げた匂いのする話からはじめてみることにします。


 最終的にはフットボールの話につなげたいと思っておりますが,果たしてきっちりつながるか。いつものように長くなりそうですが,お付き合い下さいませ。


 さて,「最適解」という言葉を最初に意識したのは,フットボールの世界ではなくてモータースポーツの世界でした。


 正直なところを言えば,私はあまりトヨタという会社に思い入れがありません。むしろ,“トリコロール”な会社のレーシング・マシンに強く共感していたために,ライバル視していた部分があるように思うのです。しかし,そんな私に大きなインパクトを与えたのが,WRCの主戦兵器だったセリカです(ひとによっては,「ホイチョイ・プロダクションズ」の映画で覚えているかも知れませんが。)。


 今回は,セリカにまつわる話から,話を進めていくことにします。


 当時,セリカ(ST165)はWRCを戦うにはいささか大きいと言われていました。


 確かに,ディフェンディング・チャンプのデルタ・インテグラーレを念頭に置けばボディ・サイズは決して小さいとは言えません。そのデルタに勝負を挑んだのが,セリカだったわけです。


 しかし,デルタとはアプローチがちょっと違った。


 ライバルよりも大きなボディを逆手に取ってサスペンションの動かし方に工夫を凝らし,レーシング・マシンのような初期セッティングを施してきたわけです。路面が荒れていても,タイアがしっかりと荒れた路面を捉えることができるように追従性を上げてきたわけです。ほぼニュートラルに推移する(=カーブの内側に切れ込むこともなければ,外側に膨らんでしまうこともない)正確無比なハンドリングを生かしてコーナリングで勝負できるマシンを作り上げ,王座をランチアから奪い取ることに成功したのです(その後,カローラWRCで問題を起こしたのは内緒に,って書いてしまったが。)。この点,日産がWRC参戦を狙って開発したパルサーGTI−Rは,小さいことのデメリットを端的に示してしまったかも知れません。グループAマシンのタイアサイズは,排気量によって制限を受けます。逆に言えば,履けるタイアサイズが排気量によって容易に分かるのです。けれど,GTI−Rは制限ギリギリのタイアを履くことができませんでした(ということは,サスペンションの動き方も制限を受けていたことが推察できます)。加えて,エンジン・ルームが小さいことが大きなネガティブでした。放熱性が,大きな問題となってしまったのです。


 その後,“ボディサイズ”だけを取り上げてマシンの戦闘力を議論する流れは収まり,どのような“パッケージ”を作り上げるのが最適か,という話に中心が移りはじめました。グループA規定ではインプレッサやランサー・エヴォリューション(ともに,ちょっと大きめのパイロット・マシンをもとに,エンジンやサスペンション・ジオメトリーはキャリーオーヴァしながら適切なダウンサイジングを狙ったマシン,と見ることができます。),WRカー規定に移行してからで言えば,シトロエン・サーラやプジョー307WRCは,恐らくセリカの系譜に置くべきクルマだろうと感じています。


 で,ここからフットボールの話につないでいきますと。


 以前,敵将なれどもイビツァ・オシムさんの考え方には興味を惹かれる部分が多い,というようなニュアンスのことを「もうひとつの橙色」と題したエントリで書いたことがあります。フットボールの世界で「最適解」という言葉を意識させてくれる指揮官は,残念ながら敵将に多い。過去,我がクラブで“パッケージ”を強烈に意識させてくれた指揮官として,ホルガー・オジェックさんを挙げることができますが,現在であれば岡田武史さんにイビツァ・オシムさん。彼らは,現状得られる戦力を最大限生かすためのパッケージを常に考えている。そう感じるのです。


 とは言え,彼らの隠し持つ理想は恐らく相当な高みにあるはずです。しかし,そこに一気に近付くような愚を犯すことはしない。丁寧に,論理を積み重ねるように近付こうとしているように思うのです。それは「現実主義的な思考」であり,「最適解」の発想ではないか。彼らの非常にしっかりとした論理の構築過程にレース・エンジニアと同じ空気を感じるのです。


 ピッチ上で選手たちによって表現されているシステム。その裏にある指揮官の思考過程を読み取りたい,という欲求(しばしばここでも書いていますが)は,ともすればレース・エンジニアに憧れていた時期にレーシング・マシンを眺めていた視線と同じかも知れないな,と思っています。