もうひとつの“For the Good of the Game.”

FIFAはピッチ上の選手だけに向かってこのメッセージを掲げたのでしょうか。


 そうではないと思う。むしろ,フットボールに関わる全ての人間に向かって,このメッセージを送っているのだろうと理解しています。そしてそれは,レフェリーでも例外ではないはずです。


 というわけでちょっと時事的な話題をば。


 以前もレフェリーのことについてエントリを立てたことがありますが,まさかシーズン中にまたレフェリー絡みでのエントリを立てることになるとは思わなかったですね。良いゲームを成立させるためにも重要な役割であればこそ,「目立たないこと」が重要であり,予断を挟むことなくゲームに臨むこと,ファウルを未然に防ぐことや選手との信頼関係をしっかりと構築しておくことなど「見えない部分」が最も大事なはず。そのことを繰り返し強調しておきたいところです。


 さて,何のこと(誰のこと)を言っているか、恐らくお分かりでしょう。


 ピッチ上の選手たちとしっかりとした信頼関係を構築することなく,むしろ上に立とうとしているかのように見えるジャッジメントには,説得力があるようには思えないのです。以前のエントリでも書いたことがあるのですが,権威は信頼から生まれると私は思っています。けれど,彼のレフェリングからは,選手を信頼しているような感じを受けない。それに加えて,ジャッジメントの基準がブレ続けているかのような印象を受けてしまう。結果,ピッチ上で選手とレフェリーが疑心暗鬼のままで対峙することになる。これほど不幸なこともなかろうと思うのです。


 ラモスさんのコラム(東京中日スポーツ)での「審判にも個人差があり,選手も信頼できる審判には安心してジャッジを任せることができる」という言葉の重み,そしてFIFAが掲げる“For the Good of the Game.”というメッセージの意味を,すべてのレフェリーが感じてほしい,と思っています。