「勝てば官軍」への反論。

鈴井さんのコラム(gooスポーツ - NumberWeb)を読んでいて,考え込んでしまったのです。


 どういうフットボールが魅力的なのか。


 「強さ」だけを求めているのか,それとも,他の何かも重要だと思っているのか。加えて言うならば,「結果」が伴わなければチーム構築に対する全てのアプローチが失敗と評価してしまって良いのか。
 言ってみれば,単純な「勝てば官軍」的発想への違和感だろうと思うのです。


 結論だけを先に言ってしまえば,クラブ・レベルにおいては「結果さえ出していればそれで良い」,というものではない(=人はパンのみにて・・・,ってことですね。),と思っているのです。
 自分のことに照らしてみれば,愛すべきクラブの勝利を常に渇望していることは言うまでもないけれど,それとともに「どういう勝ち方をしてくれるのか」にも同時に惹きつけられていると思うのです。


 というわけで,いつものように遠回りしながらはじめたいと思います。
 相変わらず長いのですが,お付き合いいただければ。


 実際問題として,組織的守備を背景とした非常に現実主義的な戦術,言わば“カテナチオ”という言葉に代表されるイタリアン・スタイルが欧州カップ戦(チャンピオンズ・リーグ)では結果を出しています。
 では逆に考えるならば,他クラブのフットボールからは何も吸収するものはないのでしょうか。


 本当にそうならば,フットボールの魅力は大きく削がれるのではないか,と思っています。


 「所与の前提」なのは承知の上で,敢えて提示すれば。


 フットボールには普遍的な「正解」は存在せず,クラブによってそれぞれの「最適解」が多数存在する,と思っています。目指すところはただひとつ,「勝ち点3の奪取(=勝利)」なのは当然のこと。しかし,その目的に到達するための道筋は無限に存在しているはずです。各クラブによって与えられている条件(=どのような選手が在籍し,どのような戦術によって持てる能力を最大限発揮できるか,ということが具体的な内容でありましょう。)が大きく違う以上,実際に勝利を目指すアプローチが異なってくることもまた当然のこと,と言えるのではないでしょうか。以前のエントリで,数字の裏に隠れているのは指揮官の猛烈なブレイン・ストーミングであり,彼らの思考プロセスを読み解くことの方がはるかに重要,と書いたことがありますが,各クラブの戦略,戦術は「オーダーメイド」であって,「トレンド」を単純に適用するだけでは十分にチームのパフォーマンスを引き出すことはできない,ということも言えるように思います。
 「トレンド」だけで勝利への道筋が開けるのであれば,そのような指揮官のブレイン・ストーミング,チームのパフォーマンスを徹底的に引き出すための努力は意味を持たないことになる。


 それだけではない。


 各クラブの「スタイル」を結果と時系列との関係性だけで読み取ろうとすれば,「時代遅れ」とか「退屈」という評価に確かに行き着くかも知れません。
 しかし,大事な部分を見落としてしまうことになるように思います。なぜ,イタリアン・スタイルが復権したのか。それは,伝統に裏打ちされたスタイルに,さまざまな戦術のエッセンスを加えていった結果ではないでしょうか。揺るぎない基盤の上に,エッセンスとして他の要素を盛り込む努力を怠らないこと。それこそが,イタリア勢の復権の原動力ではなかったか,と。
 結果だけでなく,結果を呼び込んだ背景を考えたい。結果だけで各国クラブのスタイルを読み解くのであれば,フットボールの進化を否定することになり,また先に示したように戦略家の仕事は必要ないことになる。極論すれば,“イタリアン・スタイル”をどう自分のクラブに落とし込むか,という「翻訳作業」ができればいいのだから。しかし,クラブが培ってきた伝統を全否定するかのような「翻訳作業」にどれだけのサポータ,ファンが納得するだろうか。結果も重要だけれど,それだけではない「何か」を期待してスタジアムに足を運び,あるいはテレビの前に陣取るのだ,と思う。どのクラブも似たようなフットボールをするようになれば,それこそ「退屈」ではないか。


 それだけに,タイトルに掲げられた「時代遅れ」というフレーズには(コラムの内容を読む限り,編集者が付けてしまったようにも思えるのだけれど。),イタリアン・スタイル以外を否定しかねないニュアンスを感じ,素直に読めない部分があるのです。
 ライターの鈴井さんが使った「時代遅れ」という言葉に対置できる言葉は,「トレンド」という言葉になるように思います。だけど同時に,「トレンド」というのは,乗っかるものではなくて作るものだろう,とも思うのです。トレンド・セッターとなったフットボール・スタイルは「革新的」だったからこそ,結果に関わりなくそのエッセンスが受け継がれていくのだろう,と思うのです。そして,エッセンスが上手に受け継がれていくことで,「伝統(=スタイル)」が作り上げられるのだろう,と感じています。