「節目」の決勝戦(第50回全国大学選手権)。

日曜日の国立霞ヶ丘は,「節目」でありました。


 選手権そのものにとっての節目,50回目であります。この節目に大きな目標がかかっていたのが決勝戦へと駒を進めてきた帝京,早稲田であります。帝京は選手権5連覇がかかっていて,早稲田は16回目の選手権制覇がかかっていました。ではありますが,個人的には5連覇により強い可能性を感じていたのです。


 残念ながら,この選手権を中立的に見ることができてしまう外野としては,早稲田が16回目の戴冠を果たす,というよりも,帝京大学が5連覇を達成する可能性が高いかな,と(対抗戦や大学選手権の勝ち上がり方から)見ていたわけです。ですが,一発勝負である決勝戦は独特の難しさがあるな,と感じさせるものがありました。国立霞ヶ丘のスタンドから見る限り,早稲田は,相手にリズムをつかませないことを最優先に,立ち上がりの時間帯から猛然と仕掛けていく(帝京に対して,速さで勝負する)ことを徹底していたのだろう,と思います。


 高校サッカーの決勝戦も国立霞ヶ丘でありますが,大学選手権も国立霞ヶ丘であります。帝京大学,早稲田ともに対抗戦Aグループを戦う強豪ということで,高校サッカーには遠く及ばない観客数ではありましたが,それでも決勝戦らしい雰囲気になっていたのではないかな,と思います。今回は,試合そのものではなくて,ちょっと思うところを書いておこうかな,と思います。


 この試合で印象に残ったのは,流れの「潮目」のようなものでした。


 立ち上がり,試合の流れをつかもうと,早稲田は積極的に仕掛けていきました。この流れを,帝京は引き戻そうとしてきます。スコアという部分で前半を振り返ると,決して大きな動きがあったとは言えないかな,と思いますが,帝京大学早稲田大学に対して圧力を掛け続けていたのがこの時間帯だったかな,と思うわけです。


 前半に掛けた圧力が,後半になって明確な潮目となって見えてきます。けれど,帝京がつかんだ流れは,そのまま帝京が保持することができませんでした。再び,潮目が見えてくるのです。今度は,早稲田が流れをつかんでいきます。


 というように,この決勝戦では試合の主導権は揺れ動いていました。試合の流れを引き寄せきれなかった,という見方もできるのかも知れませんが,個人的にはこの選手権にかける思いの強さ,帝京からすれば5連覇を達成したいという思い,早稲田からすれば16回目の優勝を飾りたいという思いが,主導権が揺れ動き続けていた要因ではないかな,と思うのです。