全日本実業団と箱根駅伝のことなど。

エースは,最長区間を走る。


 各チームがエース級の選手を投入する区間と位置付けられるのは確かですから,なるほど,と思える話です。ではありますが,この常識に対して(ある意味で,ですけれど)挑戦をしてきたチームがいた。今季の駅伝は,チームとしての戦い方,知略という部分で興味深いものがあったな,と思います。


 3日ほど,お休みをいただきまして,2014年最初のエントリでございます。


 シーズンですとフットボール専業,あるいはレーシングなお話に集中してしまう傾向が強いのでありますが,オフ・シーズンは努めて,違うスポーツのお話も書いてみよう,と思っています。そこで,今回は群馬県を舞台に戦われた全日本実業団と,全国区的な知名度を誇る関東ローカルなレース,箱根駅伝を書いてみよう,と思います。


 さて。エース区間という常識に対して,ある種の挑戦を仕掛けてきたな,と思うのは,今回優勝を飾ったコニカミノルタ,であります。この全日本実業団,エース区間として捉えられるのは,伊勢崎中継所から太田中継所までの第4区,とのことです。この区間を走った選手,そのクレジットを眺めてみると,確かに各チームのエースが集中しているように感じます。たとえば,日清食品グループですと佐藤雄基選手,トヨタ自動車九州ですと今井正人選手,であります。そして,コニカミノルタですと,宇賀地強選手がこの区間を担当しています。この区間を振り返ってみると,日清食品としては伊勢崎までに築いたリードをさらに広げたい,最低でもポジションをキープして第5区へ,という意図があったものと思いますが,この区間にエントリしていた佐藤選手は,何らかの負傷を抱えていたようです。そのために,途中からタイムが落ちてしまって,アドバンテージを相当に削る形になってしまいました。


 では,コニカミノルタは何を考えていたのかな,と推理するに。


 佐藤選手の失速,という部分はあったにせよ,第4区「だけ」で勝負を捉えてはいなかったのではないか,と思うのです。多くのチームがエースを投入した直後の区間,太田から桐生への第5区でタイム差を詰める,ポジションによってはリードを積み上げるという意図をどこかに持っていたのではないか,と思うのです。第5区はフラット,ではなくて,緩やかな上り坂が桐生市役所まで続いていく,勝負を仕掛けるには不利にも映る区間です。そんな区間を,第4区とセットにする形で「勝負の区間」として位置付けていたのではないか,と。


 コニカミノルタは,この区間でレースの主導権を奪い,桐生から群馬県庁への区間を首位で駆け抜けてみせた。絶対的なエースだけに依存するレース,ではなくて,エース級の選手を複数育て上げ,多くのチームとは違う勝負所をセットした,と言いますか,複数の区間をひとつのユニットとして見ていたのではないか。この戦い方は,どこか箱根駅伝での東洋大学の戦い方,特に往路での戦い方と重なる部分があるかな,と思うわけです。


 箱根駅伝は,長距離を戦うレース,というよりもスプリントを繋ぎ合わせるようなレースへと変化してきているな,と思います。そのために,かつては「つなぎ区間」として位置付けられていたような区間が,勝負を左右する区間となる,その可能性が高くなっているように思うのです。


 一般に,箱根駅伝(往路)でのエース区間は,鶴見中継所から戸塚中継所へと到る第2区と見ることができます。区間距離としても最長距離ですし,区間終盤には上り坂が控えてもいる。スピードが重要なのは当然として,この坂を乗り切る,のみならず接近戦を演じるようなことがあれば,スパートを仕掛けていく(ライバルを振り切る)ためのチカラも必要とされる。なるほど,確かにエースが走るべき区間かな,と思うわけです。この第2区がひとつの軸であり,もうひとつの軸が芦ノ湖へと駆け上がっていく第5区である,と。


 ですが,「すべての」チームにとっての解なのか,となると,話はちょっと違ってくるように思うのです。たとえば絶対的なエース,と呼ぶには難しいけれど,エース級の選手が複数いて,戦い方に一定程度のフリーハンドが持てる。そんなチームがどんな戦略を組み立てるか,と考えると,エース区間と,その次の区間を1セットに考えるのではないでしょうか。鶴見から戸塚の第2区と,戸塚から平塚の第3区を,ひとつのセットとして考えて戦い方を組み立てたのではないか,と。エース区間では,マークすべきチームから離されないこと(ポジションをひっくり返すことができるタイム差を維持すること)を狙う。この次の区間で,勝負をかける。戸塚中継所の段階で,首位だった駒澤大学東洋大学とのタイム差は26秒でした。射程距離,なタイム差で襷を繋いでいるわけです。続く第3区,東洋は遊行寺坂から茅ヶ崎のポイントで駒澤を捉え,逆に24秒のアドバンテージを築きます。かつてのつなぎ区間を勝負所としていたとすれば,東洋は狙い通りの戦い方,戦略を描き出すことに成功したのではないか,と思うわけです。


 当然,選手層が厚くなければ思い描いたとしても,実際に描き出すことのできない戦略ではないか,と思いますし,勝負は相手があって成立するものであるのも確かです。けれど,元日の全日本実業団ではコニカミノルタ,そして箱根では東洋大学が実際に描き出してみせた。勝負権を持っている,とされたチームは確かに複数挙げられていましたが,実際にコニカミノルタ東洋大学のような戦略を描き出せたチームはいなかった,と言うべきでしょう。選手層,そしてチームとしての知略がしっかりとかみ合った,面白いレースではなかったかな,と思うのです。