ともに闘うこと。

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 「戦う」という言葉ではなく,「闘う」という言葉が使われます。浦和としてのこだわり,と言って差し支えないでしょう。単純に,勝ち負けを争うだけではない,という意味を込めてのことでしょう,勝負事ならば一般に使われて不思議のない「戦う」ではなくて,「闘う」という表記にこだわります。


 フットボールは,確かに勝負事です。マイスターシャーレは,「勝ち点3」を最も多く積み上げたクラブに掲げる権利がありますし,であれば結果は大事です。でも,その結果(勝ち点3か,それとも1か,あるいは勝ち点を積み上げられないか)は相手があってはじめて引き出されるもの,です。相手に対して敬意を払う(相手の強みを的確に理解して,その強みを表現させないように戦い方を組み立てる)ことができないと,結果として自分たちの強みもなかなか表現できない,という側面をフットボールという競技は持っています。「勝ち点3」という数字を積み上げていくためには,当然ながら勝負に勝つことが求められるのだけれど,「勝ち点3」を積み上げるためのステップを考えてみると,相手のことを理解することも重要な要素だし,自分たちの置かれた状態を理解することも重要な要素であることが見えてきます。


 もうひとつ。ピッチでのウォーミングアップ・セッションが始まると,朝井さんの声で選手のコメントが競技場内へと流れてきます。このルーティンは,かつてのホームである駒場であっても,中野田であっても変わることはありません。そのときに,「ともに闘いましょう」というコメントをしていたのが,福田さんです。競技場へと足を運んでいるひとたち,その誰もがピッチに立つ選手の背中を押し,チームにチカラを与えてくれる存在だと思っていたからでしょう,そんなコメントをしてくれていたように思います。


 ともに困難に立ち向かい,困難を乗り越えていく仲間。ファンか,サポータかということではなく,競技場へと足を運んでくれるひとたちを,浦和はそう位置付けているのではないでしょうか。ならば,浦和が見せてくれている信頼にしっかりと応えていくことこそが大事なことではないかな,と自戒を込めて思います。