酒井さん、ハートフルクラブコーチに。

うれしいリリース,であります。


 プロフェッショナル・フットボーラーとしての出発点,というわけでもないし,キャリアの終着点というわけでもありません。けれど,プロフェッショナル・フットボーラーとしてのキャリア,そのなかで大きな位置を占め続けていたのだろうな,と感じますし,浦和のことを意識し続けてくれていたのかな,と思ったりします。そんなことを感じさせる,うれしいリリースだな,と思うわけです。


 今回はタイトルにも掲げましたが,酒井さんのハートフルクラブコーチ就任について,浦和からのリリースをもとに,ちょっとだけ書いておこう,と思います。


 ちょっと,酒井さん,ではなくて酒井選手が在籍していた時期のことを思い出してみるに,個人的には矛盾する感情を持っていたように記憶しています。


 浦和というフットボール・クラブを基準にして考えるならば,酒井選手のようなフットボーラーがリザーブに控えている,というのは大きな意味がある,と思っていました。ミシャさんも主戦パッケージとして3,正確には3と4との可変パッケージを使いますが,酒井選手が在籍していた時期の浦和も,3をパッケージとして使っていました。この時期の中盤は,役割分担型の中盤,ディフェンシブ・ミッドフィールドという表現が相応しい中盤から,より攻撃的な守備応対を仕掛け,攻撃面での分厚さを作り出す,セントラル・ミッドフィールド的な中盤を指向しはじめる,そんな時期だったように思います(この戦術イメージは,現実主義的な修正が加えられていくわけですが。)。そんなフットボールのなかで,セントラル・ミッドフィールド,という表現を使いたい,そんなフットボーラーだったように思うのです。守備応対面でもしっかりと計算できる,同時に攻撃面でも個性を表現できる。それだけに,スターターとしてピッチに立つだけでなく,リザーブとしてダッグアウトに控えていてほしい,そんな存在感を持っていたように思うのです。


 反面で,浦和目線を外して考えれば,浦和でなければ,スターターとしてピッチに立つ,そんな実力を持ったフットボーラーではないのか,出場機会を求めてほかのクラブへと移籍するという判断がなされても,決して不思議な話ではないだろうに,と思ってもいたのです。


 であれば,2006シーズンが終わった時点で移籍というリリースが出されたとしても不思議はないだろう,と思っていたし,そういう決断のできるだけの実力を持ったフットボーラー,と思っていたわけです。それでも,2007シーズンの途中まで,浦和に在籍するという判断をしてくれた。浦和がキャリアのはじまりでもないのに,浦和へのこだわりを見せてくれていたように思うのです。


 この浦和へのこだわりは,主戦場をインドネシアへと求めた後も,プロフェッショナル・フットボーラーとしてのキャリアを終えたあとにあっても変わることがなかったのだな,と。そんなことを,このリリースに書かれている

 ファン・サポーターのみなさん、また浦和に戻ってくることができました。


とのコメントから感じられるように思うのです。おかえり。またよろしく。