20年前の5月14日。

三菱自動車サッカー部」ではなくて,「浦和」。


 浦和というクラブを追い掛けはじめた,そのきっかけは「浦和」という言葉そのものにあったような,そんな思いがあります。


 プロフェッショナルが立ち上がる前段階,JSLでは“ホームタウン”という意識もなかったし,チームの名前に自分たちの本拠地を明記することもありませんでした。浦和の前身である三菱自動車サッカー部にしても,マリノスの前身である日産自動車サッカー部にしても。それだけに,チームを見る基準が,「強さ」だけではなかったかな,とも思います。ひとつのチームを追い掛ける,というよりも,強さを持ったチームを見ている,というように。


 であれば,軸足を持たないでフットボールを見ていた,と思うのですね。


 その軸足を定めるきっかけになったのが,「浦和」という言葉ではなかったかな,と振り返ってみて思います。


 1993年当時,私は横浜に住んでいました。オリジナル・テン,そのうちの2つのクラブは横浜市を本拠地としていて,どちらかのクラブを追い掛けようとしていたとしても,それほどの不思議はなかった,かも知れません。当時,フットボール専用競技場を本拠地としているクラブは数えるほどで,三ツ沢球技場はなかなかの雰囲気を持ってもいた。マリノス,あるいはフリエを追い掛ける,という選択肢もあったのかも知れません。


 知れませんが,そもそも追い掛けようとは思わなかったのです。


 いつの間にか,浦和に引き寄せられていた,と言うべきでしょうか。自分の出身地は埼玉県ではあるけれど,どちらかと言えばラグビーフットボールの代名詞的な場所です(いまでも,ラグビーフットボールはもうひとつの軸でありますし)。対して浦和は,埼玉県にあってアソシエーション・フットボールを代表するところです。そのフットボールの象徴に,プロフェッショナル・クラブが立ち上がる。浦和市民でも,このときは埼玉県民でもなかったのですが,浦和という言葉,それとプロフェッショナルという姿に引き寄せられていったように思うのです。


 たとえば,・・・は「いい」フットボールをしている,なんて表現をします。・・・には,たとえばボルシア・ドルトムントなどが入るかな,と思ったりしますが,でも私にとって,浦和は「いい」という客観的な表現を使う対象ではなかったりします。もっと主観的な対象だったりします。そんな関係のはじまりが,20年前の明日,であります。