チャップマンとフェラーリ。

たとえば,308のシャシー・エンジニアリングをチャップマンが担当していたら。


 あるいは,シリーズIのエスプリに,フェラーリが開発を担当したエンジンが搭載されていたとしたら。あり得ないパラレル・ワールドかな,とは思いますが,どこか見てみたいパラレル・ワールドでもあるように思うのです。


 今回はフットボールを離れまして,ロータスフェラーリの創業者について,徒然に思うところを書いてみよう,と思っています。


 ロータスが市販してきたクルマを思い返してみると,さまざまな自動車メーカから部品供給を受けていることが見えてきます。たとえば,エリーゼですとトヨタ・エンジンを搭載していますし,エスプリでは同じくトヨタのリア・コンビネーションランプを採用しています。また,エスプリとヨーロッパのトランスミッションには,ルノー製ミッションが使われています。そして,さらに古いモデルを思い浮かべると,コベントリー・クライマックスというエンジンが搭載されています。というように,ロータスの個性を決定付けているのはエンジンやトランスミッション,あるいはディテールではないのです。


 対して,フェラーリの個性を決定付けているのは,やはりエンジンでしょう。ひとによっては12気筒エンジンを思い浮かべるかも知れませんし,あるいはV型8気筒エンジンかも知れません。それとも,フェラーリのエンブレムは付けていませんでしたが,ディーノに搭載されていたV型6気筒でしょうか。いずれにしても,エンジンのことを最初に思い浮かべるのではないかな,と思うのです。シャシー・エンジニアリングの側面からフェラーリ・ストラダーレを見ると,自動車評論家である福野さんが鋭く指摘したように,決してスポーツカーとしての理想を追ったものではありませんでした。重心位置を車体中央,それもできるだけ低い位置に集中させる,という意識が徹底されているとは言えないし,むしろ重心を高く設定せざるを得ない,そんなレイアウトだったのです。


 どう見ても,方向性が違う。


 そう思われるかも知れません。けれど,このふたりはどこかで,お互いを意識していたのではないかな,とも思うところがあります。


 もともとライトウェイトを中心にスポーツカーを生産していたロータスは,エスプリをリリースすることでエキゾティック・カーの領域へと踏み込んでいきます。最終型のエスプリでは,V型8気筒エンジンを搭載するまでになります。どこかで,フェラーリのような市販車を仕立てたい,という思いが,エスプリという形になったのかな,と思うのです。対してフェラーリは,ライトウェイトであることの優位性を知っている,ということを,ディーノで示そうとしていたのかな,と思うのです。想定顧客がロータスとは違って,高級車を求める顧客層と大きく重なるからでしょう。フェラーリを「高級車」として位置付ければ,彼らは社会的にクルマづくりを縛られていた,と見てもいいかも知れません。社会性を優先してクルマを仕立てる必要があった,と見るならば,フェラーリという記号を外して,彼らなりの「ロータス的」アプローチをディーノによって世に問うたのではないかな,と思うわけです。


 同時代を,自動車メーカの創業者として,そしてレーシング・チームのボスとして過ごしてきたひとが,どこかお互いを意識しつつ,でも自分たちの個性を強く主張していた。いまとなっては,彼らが手掛けたクルマを新車で手に入れることはできません。けれど,いまのクルマとはちょっと違う,作り手の個性がはっきりと感じられるクルマであるように感じますし,いつか自分のものにしてみたいものだ,と思ったりするのです。