対名古屋戦(13−02)。

基盤を持っていることの重要性を感じられる,そんな試合でした。


 もちろん,基盤を持っている「だけ」では足らないでしょう。自分たちが築き上げてきた基盤,その基盤に対する信頼が深まっていなくてはいけないし,基盤を表現する,その表現度が高まっていかないといけない。基盤に対する信頼は,「継続」という部分で説明できるでしょうし,基盤の表現度という部分は,戦力補強から説明できるでしょう。


 いつも通りの1日遅れ,よりもさらに遅れての名古屋戦であります。ACLが迫ったタイミングでのエントリですから,短めに思うところを書きとめておこう,と思います。


 さて。今回は反対側の視点で考えるところからはじめます。


 今節の対戦相手は,どのようにして浦和の攻撃を効果的に抑え込むか,という部分を意識して戦い方を組み立ててきました。守備応対から戦い方を組み立てた,と。確かに,前半段階ではこの戦い方は「一定程度」機能したかな,と思います。思いますが,この戦い方には不足している要素があったのも確かです。守備応対から攻撃へ,という部分までは,組織としての明確なイメージが落とし込まれていた。けれど,攻撃へとトランジットした段階から,組織的な約束事が不明確,あるいは曖昧なものになっていたように思うのです。


 いつかどこかで見た姿,でもありますが,戦術的な約束事が,特定の「個」を前提とした約束事になっているから,特定の個が欠けてしまうと,約束事そのものの表現度が下がってしまう。パッケージを組む段階で足りない要素が,戦い方に大きな影響を及ぼしているように思うわけです。それだけに,立ち上がりからの流れは悪かったとは思うけれど,「怖さ」に直結する流れの悪さ,ではなかったようにも思うのです。


 相手が仕掛けてくる守備応対に対して,必要以上に焦ることがなければ,自分たちへと試合の流れを引き寄せることができる。実際,ハーフタイムを挟んで以降の戦い方を見ると,試合の流れを引き寄せるタイミングと,相手の戦い方に綻びが見え始めたタイミングとが一致していたように感じます。


 自分たちの戦い方,リズムから外れた戦い方に持ち込まれても,チームが心理的に追い込まれることがなくなった。恐らく,自分たちの形でボールを動かしているときに,ボール・コントロールを不用意な形で失うことが少なくなっている,という手応えもあるでしょう。また,戦い方をどこかに意識しながらボールを動かすのではなくて,自然と戦い方を織り込みながらボールを動かせるようになっている。今節,先制点(であり,決勝点)を奪取した局面を考えるに,啓太選手が興梠選手へとパスを繰り出す,そのタイミングに合わせるように周囲が動き出しているし,興梠選手は視界の広さを活かして,ボールをシンプルにサイドでフリーランを仕掛けていた宇賀神選手へと展開する。浦和として狙う「戦い方」が明確にあるから,興梠選手もどのように動けばより攻撃を機能させられるか,というインテリジェンスを生かすことができる。また,興梠選手のキープ力があるから,アタッキング・ミッドフィールドやサイドがより積極的にフリーランを仕掛け,ボールを引き出しやすいエリアを取ることができる。


 ファイナル・スコアは確かに1−0ですし,流れを掌握しながら最小得点差にとどまったことは課題,という見方もできるかも知れません。しかし。自分たちの形へと相手を嵌め込めない,逆に相手の狙う戦い方に嵌り込んでも,必要以上に浮き足立つことがなくなった。自分たちの形ではない時間帯を乗り越え,自分たちの形に引き寄せていけるようになっている。理詰めでチーム・ビルディングを継続してきた,その結果が形になってきている,と感じさせる試合ではなかったかな,と思います。