3500ccの自然吸気。

個人的に,いまでも納得していない技術規則です。


 スポーツ・プロトタイプから個性を奪い去った技術規則,です。そして,フォーミュラから決定的に距離を置く,そのきっかけになった技術規則でもあります。今回はフットボールを離れまして,モータースポーツ方面の話を徒然に書いていこう,と思います。


 あえて,原則論を持ち出せば。


 そもそもフォーミュラ1はメーカが主導する選手権ではなくて,シャシーコンストラクターによる選手権です。いささか古い話となりますが,ティレルロータス,ウィリアムズなどはコスワースDFVを搭載していましたが,決してフォード・コスワースがこれらのレース屋,と言いますか,コンストラクターを直接オペレートしていたわけではありません。いわゆる,ファクトリーと呼べる存在であり続けていたのは,言うまでもなく“スクーデリア・フェラーリ”でした。その流れを変えるきっかけにして,技術規則が変化していく大きなきっかけは,恐らくターボ・エンジンを搭載したルノーの登場だったのかな,と思います。


 では,自動車メーカはどんな選手権に興味を示していたか,と言えば。


 スポーツ・プロトタイプ,であります。スポーツ・プロトタイプはエンジンに規制を掛けるのではなくて,「燃料消費量」,ひとつのレースに使える燃料,その総量に規制を掛ける(ということは,自動的にエンジンの燃費性能に規制が掛かる,ということになるわけです。)というアイディアを持ち込んだのです。スポーツカー・レーシングに参加しようとするメーカは,自然吸気であろうとターボであろうと自由にエンジンを設計し,レーシング・マシンに搭載することができますが,パワーと燃費性能とのバランスを意識しなくてはいけません。長距離を走破することが求められるレースが多く組まれていたこの時期,このパワーと燃費性能とのバランスが求められる競技規則は,自動車メーカに対するアピールが強かったようです。


 スポーツカー・レーシングに参加している自動車メーカを,何とかしてフォーミュラ1に誘導することはできないだろうか。


 こう考えた勢力が,実際にいました。そして出された結論が,スポーツ・プロトタイプとフォーミュラ1,そのエンジンに関する技術規則を共通化することでした。タイトルに掲げた3500ccという数字は,このときの技術規則です。


 では,エンジンについての規定を共通化するだけで,フォーミュラへとメーカを誘導できるでしょうか。恐らく,難しかったでしょう。耐久レースとスプリントでは,エンジンに求められる要素が大きく異なってきます。当時のスポーツ・プロトタイプは・・・時間耐久,などが基本的で,スプリントの色彩が強い・・・kmレースではなかったのです。そこで,競技規則を大幅に書き換えてきたのです。燃費規制を撤廃すると同時に,耐久色の強かった選手権をスプリント化,実質的にスポーツカーで戦われるフォーミュラ,として位置付けてしまったのです。この規則変更がスポーツカー・レーシングに対する大きなダメージになったことは,のちの歴史が示すところです。


 このとき,FIA(FISA)の方針に反旗を翻し,偉大なる草レースであることを選んだル・マンが,結果的には新たなスポーツ・プロトタイプの技術規則策定に大きな役割をALMSと並んで果たすことになる(GT1,などという困ったプロトタイプも実際にはありましたが),というのは興味深いな,と思っています。そして,ル・マンが新たに設定したガレージ56枠,そこから次世代のスポーツカーが出てくるかも知れない,と思うと,それもまた楽しみだな,と思いますし,この枠に選ばれたデルタウィングにはぜひとも,大きな存在感を見せ付けてほしい,と思うのです。