モーガンLMP2にVK45(ALMS)。

モーガンとは言いますが,当然ながら木製ではありません。


 さらに,モーガンがスポーツ・プロトタイプの製作を担当しているというわけでもありません。ややこしい話でありますが,モーガンはレース屋とパートナーシップを結んでいるのです。その相手方がOAKレーシングでありまして,そのマシン開発部門を担当しているオンローク・オートモーティブが,ペスカローロとの協力関係のもとに製作したのがモーガンLMP2,というわけなのです。


 で,このモーガンLMP2をALMSシリーズに持ち込んでいるのが,コンクエスト・エンデュランスです。というわけで今回もフットボールを離れまして,こちらの記事をもとにスポーツカー・レーシングな話であります。


 この記事を読むと,ALMSでモーガンLMP2のレース活動を展開しているコンクエスト・エンデュランスが,第2戦であるロングビーチからVKエンジンを使用,という話であります。スポーツ・プロトタイプにVKエンジン,となると,またまた欧州日産方面から話が,と思ったのですが,今回は北米日産が(ALMSの話なのですから,当然ではありますが)窓口になったようです。


 スポーツ・プロトタイプに北米日産,となると,個人的にはIMSA時代を思い出す話であります。ちょっと,そんな話を織り交ぜつつ書いていこう,と思います。


 IMSA時代の北米日産は,スポーツカー・レースに深くコミットしていました。もともとプライベティアとして活動していたエレクトラモーティブ社を取り込み,NPTIとして活動規模を大きく拡大していくのです。NPTIのベースとなったエレクトラモーティブ社は,ローラが基本設計を担当したグループCマシンを大幅に(特に空力処理面で)モディファイ,VGエンジンを搭載してIMSAを戦っていた,当時のGTPクラスにおけるトップ・コンテンダーにして,技術屋集団でした。そんな技術屋集団を本社ではなく,現地法人が直接オペレートする,との決断をしたのですから,いまから見てもかなり踏み込んだ話です。なかでシャシー設計を担当していたトレヴァー・ハリスさん,そして空力面を担当していた鈴鹿美隆さんは本社のグループCにも関わることになります。グループCが大きく技術規定と競技規定を書き換えられ,自然吸気エンジンを搭載するマシンによるスプリントへと大きくその姿を変えようとしていた時期に,日産が用意していたスポーツ・プロトタイプ,その基本設計をしていたのが彼らだったのです。しかしながら,北米日産はなぜかモータースポーツへのコミットを急激に縮小,NPTIも閉鎖されることになります。


 NPTIの活動停止以降,スポーツカー・レーシングから長く距離を置き続けてきた北米日産が,再びスポーツカー・レーシングに戻ってきた。


 個人的には,そんな印象を持つ話です。この記事を読む限り,北米日産のコンクエスト・エンデュランスへのコミットはあくまでもVK供給に限定されていて,技術協力(コンクエストを実質的なファクトリーとして位置付ける)などという踏み込んだ話ではありません。欧州日産が,グリーブスと高島町,と言いますか大森海岸との関係を取り持ったように,北米日産がVK供給について本社サイドとの窓口になった,と文字通りに理解するのがフェアだと思います。
 

 それにしても,です。


 日産がスポーツカー・レーシングに対してなかなかいい距離感でコミットしはじめているな,と思います。かつては,大規模なワークス活動を展開したこともあるメーカが,プライベティアを積極的に側面支援する,という姿勢を見せ続けています。いつも書いていることではあるのですが,ワークスが真っ向勝負を展開する,という面白さは確かにあるとしても,プライベティアが勝負権をまったく持たない選手権というのも,これはこれで味気ないものがあるように思います。かつて,オープンホイーラーの世界を支えてきたコスワース,彼らのような存在に日産がなってくれると,ファクトリー活動とは違った魅力が出てくるように,個人的には思うのです。