アルテ高崎、JFL退会。

クラブがあってのファースト・チームではあるのですが。


 やはり,あのファースト・チームはもったいない。そんな印象を持ちます。決して戦力的に,そして恐らく環境的にも恵まれていないチームで,守備面だけに意識を振り向けるフットボールを狙わなかった。現実と理想のバランス,という側面から見れば,違う回答もあるのかも知れませんが,個人的には指揮官のアプローチはなかなか興味深いな,と思っていました。それだけに,もったいない,と思ってしまうのです。


 今回は,JFLのリリースをもとに書いていこう,と思います。


 それほど,絶対的な回数が多いわけではありませんが,実際に浜川へと足を運んでみた,そのときの印象を正直に書けば。


 クラブを支えようというパートナーを引き寄せる努力が足りなかったのかな,と感じます。


 プロフェッショナルを視界に収めようというクラブならば,プロフェッショナルとして戦えるだけのファースト・チームを構築するためにも,財政面での強固な基盤が求められるはずです。確か,アルテも一時期,高崎を本拠地としてJ会員に,という動きがあったか,と記憶しています。であれば,プロフェッショナルとしての活動を可能にするだけの財政的な基盤は,必要不可欠な要素であるはずです。のみならず,Jを意識していくのであれば,地域との関係性をどのように構築するか,という要素も重要になります。財政的な部分,そして地域との関係性構築など,複数の側面でパートナーの存在は大きな意味を持っているはずだ,と思うのです。


 思うのですが,そんなパートナーの存在が,アルテが本拠地としている浜川から感じ取れたか,となると,いささか希薄だったように思うのです。


 たとえば,メインスタンドにつながる階段,その入口付近に,サポートを受けている法人,個人名がクレジットされているボードが掲出されていたり,ピッチサイドに大口のサポートを受けている法人,その名前が掲出されているボードが複数設置されていたり。残念ながら,そんな姿を見ることはできませんでした。バックスタンドに設置されている柵,その柵にJFL関連のスポンサーを示したバナーが掲出されているとともに,群馬県内の公共交通を担う会社,そのロゴを示したバナーが確認できる程度,でした。もちろん,まったくサポートを受けていないよりはいいと思いますが,プロフェッショナルを狙う,という意識を持っていたクラブとしては,あまりに脆弱なサポート体制ではないかな,と思ったのです。おカネの面での不安定性を感じるとともに,地域をうまく巻き込めていないのではないか,という懸念を,何となく感じたのです。


 そして,財政面での脆弱性は,オン・ザ・ピッチにも影を落としていたようです。


 かつてジェフやコンサドーレ,そして横浜FCで活躍していた後藤義一さん,彼がファースト・チームを率いているわけですが,後藤さんが狙うフットボールはなかなかに面白いな,と感じさせるものでした。ただ,どこかギアがしっかりとかみ合っていないのではないかな,とも感じるものがありました。後藤さんが狙うフットボール,そのフットボールを表現しているな,と感じ取れる時間帯も当然にあるわけですが,その時間帯にスコアを動かしきれないな,と感じるのです。流れをつかみかけながら,その流れを決定的なものにしきれないがために,相手に流れを譲り渡してしまう。そして,流れが相手に渡ってしまうと,その流れをなかなか取り戻しきれずにゲーム・クロックが動いてしまう。戦術的な浸透度,という話をすべきではない時期でも、ときにそんな流れに陥っているところを見ると,どこかに足らざる要素がある,と感じさせるものがあったのも確かなのです。


 足らざる要素は,恐らくチーム・マネージメント,コーチング・スタッフによるマネージメントではなくて,クラブ・サイドのマネージメントに起因するものではないか,と思うのです。


 アルテの人事往来を眺めてみると,シーズン終了後,不自然なまでに大量の退団選手を見かけることがあります。どんなクラブであれ,戦力的な評価や戦力バランスなどを検討,結果として契約非更新という判断をあるフットボーラーに対して下す,というのは当然でしょう。しかしながら,チームの継続性までを揺るがしかねない,そんな戦力移動をクラブが主導するだろうか,と疑問を持つのも確かなのです。そのときに「足りないピース」として,財政的な脆弱性が見えてくるように,少なくともアウトサイドには見えるのです。大きくチームの陣容が変わってしまう,そんな状態では,どんなに狙うフットボールが意欲的なものだろうと,チーム・ビルディングは常にゼロからの構築を強いられることになる。そんな形に陥れば,戦術的な浸透,熟成は覚束ないし,結果からは遠ざかってしまうことになる。


 悪循環,という言葉で端的に書いてしまうこともできるのでしょうが,クラブとして,何を目標とするのか,という「理想」に関わる部分,そしてその理想へと近付いていくためには何が必要なのか,という「現実」,そのバランスが決定的に崩れてしまうとこういう結論はなかなか避けきれない,という意味で,教訓とすべきケースでもあるように,個人的には思っています。