カロッツェリア・スカリエッティ。

最初にスカリエッティの名前を聞いたのは,確かCGTVを通してだったか,と思います。


 まだまだ,フェラーリがクロームモリブデン鋼の鋼管フレームを使っていた時代,“アウターシェル”と呼ぶのが相応しいボディをファクトリーから引き出してくる映像を見た記憶があるのです。恐らく,308中期か,あるいは328ではなかったでしょうか。プライマー・サフェーサーだけが塗装された状態だったかどうか,ちょっとばかり記憶が曖昧なのですが,モダン・フェラーリと比較すれば明らかにディーノ的な,優美な曲線を描くボディラインが何とも印象的でした。


 恐らく,すでにこの時期はフェラーリのボディ製造部門だったはずです。でも,不思議とコーチビルダーとしてのスカリエッティ,という印象は強く残っていたりするのです。今回はフットボールを離れまして,レスポンスさんの記事をもとに,スカリエッティの話を書いてみよう,と思います。


 モダン・フェラーリ,その名前として認知されているひとも多いかな,と思います。


 確かに,どこかに雰囲気を感じさせるディテールがあるかな,とは思います。思いますが,スカリエッティが実際にボディワークを担当したクルマを見てみると,空力特性を強く突き詰めていなかった(突き詰めようにも突き詰め方が確立されていなかった)という時代的な背景もありましょうが,優美な曲線を持つことができているな,と思うのです。


 たとえば,レスポンスさんの記事にも紹介されている,250GTOであります。


 フェラーリは基本的にストラダーレにはGTという表記だけをしていて,決してスポルト,あるいはコルサ(レーシング)などという表記を使わなかった,と福野さんは指摘していますが,このGTOはある種の例外であるように思います。当時のGT選手権,その技術規定を意識して生産されたモデルで,そのことを示すのがGTの後ろに付けられたOなのです。オモロガート(英語表現で書き直せば,ホモロゲート),つまりは車両認定を受けるために生産されたモデルなのです。
 であれば,当時としてもかなり理詰めの設計,加えて書けば,勝負にこだわるイタリアンらしく,車両規定を徹底的に読み込んだことがうかがえる(要は,車両規定の隙を巧みに突いた)生産規模のクルマだったわけです。レーシングな世界に持ち込むクルマですから,必ずしもエレガントなデザインは必要ない,はずなのですが,実際には戦うマシンでありながら,優美なクルマとしての評価が高いクルマでもあります。その要因が,スカリエッティによるボディワークでもある,とは言えるはずです。


 個人的には,フェラーリの優美さはフレーム構造からモノコック・ボディ構造へと技術的なジャンプアップがあった時期から失われていったように思います。工業製品としてフェラーリを見るのであれば,当然ながらに最新鋭のフェラーリが最良ですが,「どのフェラーリが好みか」という質問をされるとすれば,個人的な答えは最新鋭のフェラーリにはなりません。不思議と,フレーム構造時代のフェラーリが多いのですね(と言って,ガレージに収められるようなおサイフを持っているわけでは,断じてありませんが)。ピニンファリーナでデザインを担当していたのが誰なのか,ということもありますが,ボディワークがボディワークだけで独立していた時代が終わるのと同時に,スカリエッティ,という存在も緩やかにフェード・アウトしていったのかも知れない,などと思うところがあります。