2011に1966の話。

クロスバーを直撃したボールが,どの位置に落下したのか。


 オールド・ウェンブリーのピッチだけが,事実を知っていた,と。


 こう書けば,おおよそ何の話か,お分かりの方も多いかと思います。1966に,クロスバーを直撃するボールに,そしてオールド・ウェンブリーとなれば,イングランドと西ドイツで戦われたワールドカップ勝戦であります。純然たるアウトサイドとしては,フットボールという競技はレフェリングを含めて偶然がどこかに作用する競技だな,と感じるところがあるわけですが,ドイツのひとたちにとっては,そんなことを言っていられる心境ではないだろうな,と感じるところです。


 そんな1966絡みの話が,このような記事として出てきました。ちょっとばかりお休みをいただきましたが,今回はこの記事をもとに短めで。


 当時の西ドイツ選手,その3人から禁止薬物であるエフェドリンが検出されていた,という話であります。


 1966年当時,FIFAはどのようなアンチ・ドーピング施策を持っていたのか,それとも明確な施策を持つに至らなかったのか,残念ながら知る立場にはありませんが,この記事から推察する限りでは,少なくとも当時のFIFAの医務担当役員はどのような物質がドーピング薬剤として使用されるのか,的確に把握していたようです。


 時代的な背景を思えば,ドーピングがあったとしても不思議ではない時期だったかな,とは思います。


 確か,オリンピックで禁止薬物使用によってメダル剥奪,という話が出てくるのは1972年のこと,です。また,東西冷戦の枠組みが崩れたあと,旧共産圏では組織的にドーピングをしていたことが表面化した,ということもあります。たとえばソビエト連邦東ドイツなどは,スポーツを国威発揚の手段,あるいは自由主義圏に向けて自分たちのプレゼンスを誇示するための手段として位置付けていたので,選手のパフォーマンスを高めるための手段として組織的にドーピングを実施していた,とか。そんな動向を,西側諸国も知らなかった,ということはないでしょう。どのような薬剤を使用するとどのような効果があるのか。どのタイミングで服用すれば,服用が検知されにくくなるか,などの情報を持っていたのではないか,と。そんなことを考え合わせてみると,1960年代はドーピング手法が広く共有される一方で,本格的にアンチ・ドーピングへと動き出す,その前段階とでも位置付けるべき時期だったのでしょう。


 それにしても。2011年にあっても1966年の話が,まだドイツでは出てくる。それだけ,ドイツにとって大きな出来事がオールド・ウェンブリーであった,ということでもあるのかな,と感じるところです。