FA、JFAへカップを再寄贈。

不思議な感じがしますね。嘉納治五郎さんという名前を見ると。


 最初,FAからカップを贈られたのはJFAではなくて,大日本体育協会(現在は,日本体育協会)だったのだとか。当時,会長職にあったのが,講道館を設立した柔道家嘉納治五郎さんだったというわけです。戦時下にあって,最終的には開催権を返上することになる,1940年のオリンピック東京招致を成功させるなど,スポーツ界で大きな活躍をされた方ですが,この嘉納さんの助言があって,JFAが創立されることになった,と。


 さて。こちらのニュース記事と,小倉会長のコラム(JFAオフィシャル)をもとに,FAから再び贈られることになったカップについて、ちょっとだけ書いておこうと思います。


 どのような流れで,FAが日本へカップを贈ることにしたのか,そのあたりは小倉会長のコラムに書かれていますからそちらをお読みいただくとして,当時はまだFAが日本には存在していなかった,という部分はちょっとした驚きでしたし,JFA創設について嘉納さんが大きな役割を果たした,というのも新たな発見でありました。と,JFA創立と深い関わりを持つカップでありますが,戦争の影響はこのカップにあっても無縁ではありませんでした。
 銀器献納,と言うそうですが,戦時下で実施された金属供出(金属類回収令,という法律が根拠だったのだとか。),恐らくはその貴金属版として没収されたものと思われます。このことで,「幻となっていたカップ」になってしまった,と。


 小倉会長のコラムに再び戻りますと,2011年はJFAが創立されてから90年,という節目の年なのだとか。その節目にあたって,小倉会長はFAに対して「幻となっていたカップ」の再製作を打診したのだそうです。JFAが,自分たちで復元するにあたってその許諾をFAに求めた,という感じでしょうか。この打診に対して,FAのバーンスタイン会長は「再寄贈」という形でオリジナルのカップを復元する,という提案をしてくれたのだとか。で,新たに製作されたFAカップを受け取りに,小倉会長がウェンブリーへと赴いたのだということです。


 さてさて。このFAカップ天皇杯優勝チームへと授与される,とのことです。国立霞ヶ丘で授与される「天皇杯」は,カップという表現よりも「賜杯」と表現したいデザインであって,日本のカップ戦に相応しい雰囲気を持ったものだ,という思いがありますが,同時にJFA創設のきっかけを作ったカップ,復活版であるとしてもそんな意味を持ったカップが同時に授与される,となると,より「らしい」カップ戦になるのではないか,と思います。