対広島戦(11−23)。

振れ幅が大きいフットボール,と表現することもできそうですが。


 「自分たちが描きたいフットボール」,ファースト・チームの誰もが共有していなければならないはずの戦術的な基盤が安定していないから,どうしても振れ幅が大きくならざるを得ない,という印象もあります。・・・この時期に,チーム・ビルディングの基礎段階に問題を感じているようでは,という思いもありますが。


 広島戦であります。自分たちが置かれた位置を,そして対戦相手との位置関係を冷静に眺めれば,「勝ち点3」を奪取できなかった,という見方よりも,対戦相手から「勝ち点2」を削り取ったという見方をすべきかな,と思いますし,その意味で悪くない「勝ち点1」である,とも思います。スタンディング上位,と言うよりは下位との距離感をしっかりと意識しながら,残留に向けた戦い方をしていかなくてはならない,そんな位置にいるのだから。


 ではありますが,を書いておこう,と思います。


 端的に言えば,どういうイメージで守備応対をしているのかな,と。


 いい攻撃を仕掛けるための準備として,どのようにしてボールを奪うのか,という意識で守備応対の戦術イメージを組み立てている印象が薄い。むしろ,「相手の攻撃をどのようにして跳ね返すのか」というイメージに引っ張られる形で守備応対のイメージが形作られてしまっている,特に今節はその印象が強いように映ったわけです。
 ワイドに,でも縦にはコンパクトに,ということは,当然ながら連動して相手ボール・ホルダーにプレッシングを仕掛けていくイメージが伴っているのかな,と思うところです。ボール・ホルダーへのプレッシングが連動していくこと,ジャッカルを仕掛けるフットボーラーへボール・ホルダーを追い込んでいく,などのイメージが重要な要素になるはずです。そんな連動性,イメージの共有が,なかなかピッチで表現できていない。のみならず,今節はそれほどコンパクトネスに意識が振り向けられていたような感じがしない。自分たちが攻撃を仕掛ける,そのための準備としての守備応対ではなくて,相手のフットボールから逆算した守備応対に強く意識が振り向けられてしまう。そのために,コンセプトとして掲げていたはず(というほどに,強固なコンセプトと感じられたかどうか,はこの際置くとして)のコンパクトネスがどこかに行ってしまう。結果,相手にゲームを動かされる状態からなかなか抜け出すことができない,と。


 相手がどう出るか,ということを意識するのは重要な要素です。どういう状況にあっても自分たちのフットボールを,というのは理想的に見えるけれど,実際にそんな局面がつくれるか,となるとそんな時間帯はごく限定される,というのがフェアでしょう。
 でも,相手のことを意識し過ぎて,自分たちが狙うフットボールに大きな振れ幅をつくってしまう,というのも同じく問題なのではないか,と感じます。徹頭徹尾,リアクティブなフットボールであるとしても,「自分たちが狙う形」に持ち込むから機能する。その「自分たちが狙う形」がピッチからなかなか感じ取れない。自分たちがどう攻撃したいのか,どう守備応対をすれば自分たちの狙う攻撃へと持ち込めるのか,という共通理解があまりに薄いから,ひとつひとつの個がなかなかかみ合わない。厳しい位置に立っているからこそ,チームとしての戦い方に曖昧さを残しているのは致命傷に結び付く,と感じるのです。


 いまの浦和が,「チームとして」描きたいフットボールは何なのか。チーム・ビルディングの基礎段階に関わる要素だと思いますが,その基礎から見直す必要があるように感じるところです。