永久欠番。

少なくとも個人的には,アメリカンな言葉です。


 たとえば思い浮かぶのは,ハンク・アーロンにエディ・マシューズ(スタンリー・マシューズではありませんので,念のため。),ジャッキー・ロビンソンであったり。実際に足を運んだこともあるターナー・フィールドを本拠地とする,アトランタ・ブレーブス永久欠番となっている選手たちであります。


 彼らと同じ文脈で読み取ることもできるけれど,でも違う部分に寂しさがあるな,と。まったくのアウトサイドだからこそ,かも知れないけれど,心中複雑な思いを持って読んでしまうところがあります。そこで今回は,こちらのリリースをもとに,あくまでも一般論として書いておこう,と思います。


 バリー・ボンズが記録を更新するまで(とは書きますが,ボンズについてはドーピング問題という影もありますし,この記録についての正統性は揺らいでいる,と見るべきなのかな,と思いますね。),通算本塁打記録を保持していたのが,ハンク・アーロンさんであります。アトランタ・ブレーブス,そしてミルウォーキー・ブリュワーズで活躍していて,これらの球団は彼が背負った背番号,44を欠番としているわけです。
 ブレーブス,そしてブリュワーズを追い掛けているひとたちに強い印象を残し,そして実際に明確な実績を残している。王さんに抜かれるまで,彼の記録がそのまま,世界記録を意味していたわけですから当然でありましょう(どうも,MLBは王さんの記録を素直に受け取っているわけではなさそうですがね。アーロンさんが敬意を示してくれているのとは違って)。今回の決定も,この文脈で読むことが確かにできます。できるのですが,今回の決定はこれらの意味合いだけではない,という部分に複雑なものを感じざるを得ないのです。


 また,フットボール的な見方をすれば。


 ひとつひとつの番号には,そのクラブの歴史がある,と思うのです。たとえば,マンチェスター・ユナイテッドにとっての“7”であります。時代によって,7を背負ったフットボーラー,その個性は違っているのだけれど,ユナイテッドにとっての7,その意味をピッチで表現することのできるフットボーラーが背負ってきた番号である,とも言えるか,と思うのです。誰かを強くイメージさせる番号であるとしても,歴史を重ねることでその印象が地層のように積み重なっていく。そんな歴史を見てみたかった,と思うひともいるかな,と思うのですね。


 心情的には理解できる部分があるのだけれど,でも心中複雑な思いを持ってしまう。そんなリリースであるように感じます。