森孝慈さんの訃報によせて。

確か,「攻撃的に」というお話をされていたのですよね。


 プロフェッショナルなのだから,競技場へと足を運んでくれるひとなどを魅了するフットボールを展開しなければ,と。Jが本格的に立ち上がるその前年,浦和(当時はまだ,三菱浦和などという表現をするメディアも多かったですね。実業団の香りを残しつつ,でもプロフェッショナルへと移行するのだな,という雰囲気を漂わせつつ。)は攻撃的なフットボールを標榜していたはずです。確か,このフットボールでJ初年度を戦っていこう,という意識を持っていた,というようなことをどこかで見聞きした記憶があります。


 いささか早過ぎる話だろう,と思う話が,浦和からのリリースとしてアップされていました。今回は,いつもにも増してとりとめのない書き方になるか,と思いますが,森さんのことについて徒然に書いてみよう,と思います。


 では,最初の話に戻りますと。


 攻撃的なフットボールでお互いが勝負を挑む。そんなリーグ戦をイメージしていたようなのですが,実際にはバランスをしっかりと意識してチーム・ビルディングをしてくるクラブが多かった。J初年度のリーグ戦を思い出してみると,クラブの総合力が厳しく求められる,長期間にわたって安定した成績を残すことが求められる,という姿ではありませんでした。どちらかと言えば,カップ戦を戦い抜くために必要な要素が求められるリーグ戦でありました。それだけに,「守備面から入る」チーム・ビルディングを選ぶクラブが多かったのかも知れない,と思うわけです。
 森さんが掲げた基本発想そのものは,プロとして当然の要素とも言えるはずです。ただ,プロフェッショナルに求められるもうひとつの要素,「結果を求められるのがプロフェッショナル」という要素が,結果として軽くなってしまっていたようです。
 加えて,森さんが狙う攻撃的なフットボールを実際に表現してもらう,そのためのバックアップがクラブ・サイドからどれだけあっただろうか,と思い返してみると,必ずしもコーチング・スタッフが描くイメージとクラブが描いているイメージが同じ方向軸を持っているようには思えなかった。そのために,チームが悪循環に嵌り込んだままでなかなか抜けきれない,そんなシーズンを過ごすことになってしまったように感じられます。


 クラブ・マネージメントがチーム・マネージメントにリンクしていないと,決してリーグ戦で安定した成績を収めることはできない。そんなことを痛感させられた時期だったのではないかな,とアウトサイドは勝手に想像しています。この時の苦い,苦すぎる経験が,のちにGMとしての活躍に結び付いていくのではないかな,と思うわけです。


 どのようなチームであるべきか,どのようなクラブであるべきか。


 「軸」の存在を強く意識することのできなかった浦和に,「軸」の存在を明確に意識付けるきっかけとなったのは,森さんがGMに就任して以降,だったと思うのです。プロフェッショナルなのだから,結果が求められるのは当然のこと。そのために,どのような基礎構造が必要となるのか,という視点から監督の人選を進め,同時に数年後のファースト・チームを意識して戦力の整備をする。
 ワールドカップへの指定席切符があるとして,その切符へともうちょっとで手が届くところにまでチームを導いたひとなのだから,「3年分負けた」とは言え,フットボール・コーチとしての疑問符が付けられるひとではないはずです。でも,後年の印象としてはチーム・マネージメントという枠に収まることなく,もっと大きな枠,クラブ・マネージメントでその能力を発揮された方ですし,クラブ・マネージメントについての経験をもとにJFAのマネージメントにもその能力を生かしてほしかったひとではなかったかな,と思うのです。


 そう思うと,やはり早過ぎる,という言葉以外が思い浮かびません。