対川崎戦(11−04)。

なかなか得られずにきた,「勝ち点3」という足掛かり。


 その足掛かりを奪取したことには,当然ながら大きな意味があります。まだまだ楽観視できるような状態ではないとしても,“Relegation”という事態を意識しなければならない,そんな位置から浮上を狙う,そのきっかけを得たとも言えるわけですから。


 ただ,「ファイナル・スコアから逆算して,結果ありきで考えるならば」,という留保文言を付けておくべきではないか,とも同時に思います。ゲーム・コントロール,その方向性そのものには理解できる要素も多いものの,コントロールと言うにはいささか「落差」があり過ぎるようにも感じられるのです。そして今節は,その「落差」につけ込まれかけもした。 


 「勝ち点3」という結果を奪取したからこそ,「結果」を導くためのアプローチに伴う課題を意識しておく必要があるかな,と思います。ということで,いつも通りに1日遅れ,の川崎戦であります。


 さて。課題面を意識すれば,どうしても視線は前半に向かいます。


 浦研の島崎さんは,達也選手のコメントをもとにラグビーフットボール的な戦い方,という表現をしていました。エリア・マネージメントを強く意識した戦い方を展開してきた,と。
 もともと,現任指揮官が狙うフットボールはエリア・マネージメントの要素を強く持っているものだったように思います。その意味で,今節の入り方は狙うフットボールに近いものであった,という言い方もできるかも知れません。
 知れないのですが,「エリアを奪った直後の戦術的な対応」がいささか不透明なのが気になります。ロングレンジ・パスによって相手守備ブロック背後にあるスペースを狙う,という意図は理解できるわけですが,そのロングレンジ・パスに連動してチームがどのように動くのか,がなかなかピッチから感じ取れないのです。ごく大ざっぱな言い方をすれば,ロングレンジ・パスに対して反応するユニットが限定されてしまっている時間帯がかなり多い。そのために,ロングレンジ・パスがルーズになったときのリフレクト,であったりセカンド・ボールを狙った高い位置でのディフェンスが効果的に掛からない。高い位置でボール・コントロールを奪ってシンプルに攻撃を仕掛ける,という戦術イメージを掲げていたか,と思うのですが,ボール・コントロールを取り戻す,という側面を考えると,そのための距離感ではないように感じられます。


 ロングレンジ・パスそのものが問題なのではなくて,ロングレンジ・パス「のあと」に課題があるように感じられるのです。ロングレンジ・パスをどのようにして戦術的に機能させるのか,その枠組みに欠けている,あるいは不足している要素があるように,感じられるのです。


 ロングレンジ・パスをダイレクトに収め,ボール・コントロールを維持できれば,確かにシンプルな攻撃ともなるわけですが,すべての局面でダイレクトなコントロールができるわけではありません。むしろ,ロングレンジ・パスがイーブン・ボールになる局面が多かったりもするわけです。そのときに,チームとしてどのようにボール・コントロールを奪い返すのか,と。そのための戦術的なイメージであったり,コンパクトさが不足してはいないか,と思うのです。チームが,ロングレンジ・パスを繰り出す局面になるとコンパクトさを失い,距離感が広がってしまう。パスに連動する上下動,がなかなか表現できていない。その結果として,ミッドフィールドの機能が引き出しきれない時間帯が出てきてしまう,と。


 もうひとつ。守備応対面でも「距離感」の問題が前半に見て取れました。


 今季の守備応対は,どちらかと言えばストリクト・マンマークに近いものです。であれば,マーカーに対する距離感がかなり重要な要素となるはずなのですが,どうもその距離感が中途半端になる局面が,特に前半には多かった。ハーフタイム段階でのスコアが“nil-nil”であったからと言って,そのままにしておくべきではない課題ではないかな,と思います。


 ・・・「勝ち点3」を奪った試合でありながら,ともすれば敗戦原稿か,というような書き方ですが,基本的にこの戦い方の「枠」が問題だと思っているわけではありません。むしろ,「枠」が見えてきていることについては,評価すべき要素だろう,と思っています。
 

 ただ,この戦い方の「枠」が大きな「落差」を持っていることが,懸念すべき要素だと思うのです。


 相手に主導権を掌握されかねない,そんな戦い方になってしまっている,と。今節の課題はこの点に集約されるか,と思います。前半の戦い方,その戦い方の中で不透明な要素や欠けているのかも知れない要素,あるいは徹底し切れていない要素などをチェック,修正すべきを修正していくことで,後半のフットボールへともっとスムーズにつないでいく,「落差」を小さくすることができるのではないか,と見ています。