The Championships, Wimbledon 2011.

やはり,独特の雰囲気が支配していますね。


 グランドスラム・トーナメントのひとつであることには違いないのですが,やはり歴史と伝統の持っている意味は違う。モンテカルロ市街地コースであり,サルテが持つ,あの独特の雰囲気と重なる部分がある,ようにモータースポーツ・フリーク的には思うのです。


 今回はフットボールを離れまして,“The Championships, Wimbledon(ウィンブルドン選手権)”についてちょっとだけ書いておこう,と思います。


 最終日,センター・コートへと足を踏み入れたのはラファエル・ナダルにノヴァク・ジョコヴィッチであります。ワタシはNHKの中継映像を見ていたのですが,恐らくBBCからの配信映像を利用していたのかな,と思います。IBM提供のスタッツが決勝戦を前に表示されていました。確か,そのスタッツからナダルとジョコヴィッチの過去の対戦において芝の対戦は2回あって,その2回はともにナダルが制している,という話があったか,と記憶しています。加えて考えれば,ナダルの経験も有利に作用するのではないかな,と。でも,ジョコヴィッチは安定したパフォーマンスを見せているプレイヤーでもあるし。であれば,数季前の決勝戦,確かロジャー・フェデラーナダルが戦った決勝戦でありますが,そんな熾烈な決勝戦になる可能性もあるな,と。そんな想像をしながら試合開始を待っていたわけです。


 わけですけども。


 むしろ,個人的に印象に残ったのは,そんなナダルが重要な局面でミスを誘発させられている,ということであり,対してジョコヴィッチの重要な局面での集中力,そして局面を支配できるだけの技術的な裏打ち,でありました。ウィンブルドン・オフィシャルには,決勝戦のマッチ・スタッツがアップされています。このインデックスを眺めていくと,意外に拮抗した数字があることに気付きます。ですが,試合全体を通じての印象としては,ジョコヴィッチのリズムでゲームが流れていったような印象がある。そんな印象へと結び付いていくスタッツが,恐らくはセカンド・サービスからポイントへと結び付けられたかどうか,そのパーセンテージになるかな,と思います。サービス・ゲームを確保できるかどうか,という要素はそのセットを奪えるかどうか,という重要な前提だろう,と思うのですが,この試合でのナダルはどうも,サービス・ゲームをキープしきれなかった。それだけ,この決勝戦での「勝負所」でジョコヴィッチはナダルを抑え込めていた,ということになるのかな,と思います。


 どんな競技,それはモータースポーツでも当てはまること,だと思うのですが,相手のミスをどう誘うか,という部分も大きな意味を持っているように思うのです。相手が自分から崩れた結果としてのミス,ではなくて,揺さぶりを掛けながら相手が崩れるのを待つ,ミスが発生することを待つことができるかどうか,が重要な要素になる,と感じます。
 ジョコヴィッチはナダルのミスを「誘う」ことができていたように思うし,逆にナダルはジョコヴィッチを崩しきれなかったような印象が残る。この決勝戦を,要素に分割して見るならば「ミス」が勝負を分ける要素だったかも,と思うのです。