対名古屋戦(11−18A)。

相手から,「勝ち点2」を削り取った。


 物理的な「勝ち点1」の意味は変わらないのですが,今節の「勝ち点1」は次につながる勝ち点になり得る,と思いますし,ファースト・チームの置かれた状況を考えるならば,この勝ち点1を次節へのステップ・ボードにしなければならない(ホーム・ゲームでの勝ち点3奪取によって,アウェイでの勝ち点1を意味あるものとしなければならない),と感じるところです。
 バスケットボールの表現を借りれば,“Buzzer Beater”に近い時間帯で相手の勝ち点3を勝ち点1へと減算させる。確かに,前半終了を意識しておかなければならない時間帯での失点,と自分たちからアウェイ・マッチをより難しくした,と評価せざるを得ない部分もありますが,フルタイム(とは言え,アディショナル・タイムは8分だったわけですが。)を戦って「勝ち点1」を確保した。試合全体を眺めてみれば,妥当な結果,という評価もできるかと思います。


 さて。いつも通りに,の名古屋戦でありますが,限定的な印象にとどまってもいますので,今回は思うところなど。


 ごく大ざっぱに書けば,現任指揮官が理想として描いているフットボールは,ファン・マルワイクなダッチ・フットボール,あのフットボールと相似形を描くものではないかな,と思います。であるとして,対する「現実面(=浦和の戦力構成)」はどうであるか,と考えてみると,ポジション・フットボールファン・マルワイク的なダッチ・フットボールよりは,(同じ2010のフットボールで表現するならば)ヨアヒム・レーヴ的なフットボールに近い位置かな,と感じます。


 この距離を,現任指揮官がどのように分析しているのかな,と。


 直輝選手をスターターに,という時点で,指揮官は「現実」方向へと軸足を置き始めたのかな,と思うところです。流動性を持ち込むことで,チームとしての機動性を引き上げる。といって,キックオフ直後から高機動性を武器に戦うのではなく,相手の戦い方をしっかりと意識してリズムを変えていく。前節は,ともすれば偶然が作用したものかも知れませんが,10シーズンからの正常進化形として見てもおかしくないフットボールが(偶然が作用しているかも,という段階で完成度への問題点がありますが)表現できていた。今節は,その流れを引き継いだもの,と見てもいいように思いますが,パッケージの変更は前節の流れをさらに強める,と言うよりはちょっと中途半端な印象でもあります。今節スターターとしてクレジットされた原選手,彼のスタイルはフィニッシャー・タイプのように感じられますし,それならば中盤には原選手が“ボールをゴールマウスに置いてくる”ためのスペース,時間を作ることが求められることになります。そんなことを意識して中盤のパッケージを組んだかな,と思うと,何とも判断に困るわけです。


 浦和が置かれている位置を思えば,中途半端さを残している段階でもない,と思うところです。今節奪取した「勝ち点1」をホームでの「勝ち点3」へとつなげていくためには,ある意味徹底した「現実的対応」が求められる。そんな印象を持っています。