中途半端なフットボール・ビジネス。

そもそも,戦力設計を誤るからこういうことが続く,と。


 端的に,そんな印象を持ちます。ドリコム時代からお越しの方ですと,何となく察しておられるかも知れませんが,こういう話ですと,極端に長くなります。申し訳ありませんが,お付き合い下さい。


 指揮官がどのようなフットボールを狙っているのか,そのためにどのような戦力を用意しておくべきなのか,という原理原則が,これまでの選手補強で明確に見えた,そんな時期がどれだけあったか。「緊急補強」でもあった2005シーズンのトミスラフ・マリッチロブソン・ポンテの獲得,このケースが最もこの原理原則に近かった,と思うけれど,原理原則を感じられる補強は決して多くはない,と感じています。なかでも最も原理原則との距離が感じられたのが2008シーズンではなかったでしょうか。
 

 エジミウソン選手との契約について,浦和からこのようなリリースが出されています。このリリースによると,カタールアル・ガラファとのクラブ間合意が成立しており,エジミウソン選手との契約交渉が調えば,移籍が成立する,とのことです。


 フットボール・ビジネス,という側面「だけ」で見れば,決して否定されるべき話ではありません。長谷部選手や細貝選手,あるいは阿部選手のように,契約期間満了による海外移籍では「違約金(移籍金,という表現をかつてはしていました。)」をクラブが獲得することはできません。その意味で,今回の移籍は違約金が発生するケースであり,ビジネス的な側面「だけ」で見れば,決しておかしい話ではない,はっきり言えば,ごく当然のビジネスとも言えます。


 しかしながら。「そもそも」なところにまで戻って考えてみると,フットボール・ビジネスとしても大きな問題を浦和は抱えてきたままなのではないか,という疑問に至ります。そんな疑問が,冒頭のちょっとすると無関係な思い出話と結び付くのです。


 ちょっと,高原選手のケースと重ねてみます。


 加入時期を思い出してみると,高原選手と同時期に浦和との契約をしているはずです。ダッグアウトに置いておくわけにはいかないフットボーラー,などという表現があるとのことですが,彼らを冷静に眺めてみても,そんなフットボーラーではなかったか,という思いがあります(実際には,高原選手をダッグアウトに置いている時期もかなりあったわけですが)。
 指揮官それぞれにフットボーラーへ求める要素,あるいは戦術的なイメージが違っている。たとえば,前任指揮官はエジミウソン選手をセンターとして位置付ける反面で,高原選手については彼がかつて在籍したジャーマンなフットボール・クラブ,その指揮官と同じようにウィンガーとして見ていたような雰囲気があります。しかし,高原選手はセンター・フォワード,ストライカーとしての矜持を貫こうとした。戦術理解度からすれば,間違いなく必要な戦力だったはずですが,根幹で折り合えない部分が出てきてしまった。これはプロフェッショナルであれば,ある意味仕方ないことでもあるのです。


 このときに,クラブは何をしたか。


 ダッグアウトに置いておくわけにはいかないフットボーラー,戦術的な根幹に組み込む必要性があるフットボーラーを同時期に獲得してしまった,という戦力構成面でのマネージメント・ミスを,前任指揮官とフットボーラーとの確執,という図式を前面にすることで巧みに回避したのではないか。メディアとの距離を常に意識していた前任指揮官に対して,“ネガティブ・キャンペーン”で対抗していたスポーツ・メディア,彼らの心理面を利用して。


 今回の移籍劇にしても,まずはスポーツ・メディアから話が動き出した。今回はネガティブ・キャンペーンではなくて,「観測気球」のようなものでしょう。サポータ,ファンがどんな反応をするのか,と。


 では,「期待に添わない」反応を続けさせていただきますと。


 確かに,今季の4−3−3なフットボールでなかなかパフォーマンスを発揮しきれなかった,という側面はあるとしても,彼がパフォーマンスを発揮し得る「距離感」と指揮官が狙った「距離感」が果たして同じだったのか,という疑問が残ります。指揮官と強化部門で,「エース」に対する見方が違っていたのではないか,という疑問が生じるのです。戦力評価,その根幹についてのズレが外部的にも表面化する前に,移籍という形で問題をクリアしようとしてはいないか,と。
 そして,「違約金」を意識して移籍をクラブで主導した,というのであれば,浦和が「主体的に」メルカートで動く必要性があるのではないか,と思うのです。そして,(敢えて嫌な表現を使えば)「売り抜ける」タイミングとしていまが適切なのか,と。エジミウソン選手が残した実績を思えば,昨季終了時で移籍を模索したとしても不思議はないのです。契約の残存期間を考えても,市場価値を考えても,良好なパフォーマンスを表現できなかったいまではなく,10シーズン終了時ではなかったか,と。このことについて,何の言及もない。


 浦和というクラブを,どのような方向へと持っていきたいのか。その具体的なブルー・プリントを誰も持っていないのではないか。


 ともすれば,前任指揮官であるフォルカー・フィンケが最も具体的なブルー・プリントを持っていたのかも知れないし,そのことに藤口さんは何となく思い至ったのかも知れません。ですが残念ながら,彼らは浦和にいない。浦和というクラブに,しっかりとしたフレームを構築するタイミングを逃したように思いますし,彼らに責任を負ってもらったがために,残しておいてはいけない「中途半端さ」をいまだに持ってしまっているのではないか,と思ってもしまうのです。