サー・アレックスをつくったもの。

「幸運」だよ,と言うひともおられるかも知れません。


 確かに,そんな要素を感じます。アレックス・ファーガソンがユナイテッドと契約を締結する時点で,ユナイテッドはリーグ・タイトルから遠ざかって久しい状態にありました。1966〜67シーズン以来,トップ・ディビジョンを制覇していなかったのです。であれば,アレックスに求められたのはタイトル奪取,特に「リーグ制覇」であった。ある意味当然のこと,です。


 しかしながら。


 ユナイテッドがリーグ戦を制するのは,1992〜93シーズンのことです。アレックスが就任してから6季が経過していたのです。たとえば,ファーガソンさんがイタリアを仕事場にしていたら,あるいはJリーグでもそうだと思いますが,6季も「無冠」のまま(正確には,1989〜90シーズンにFAカップを奪取していますから,まったくの無冠ではないのですが)オールド・トラフォード競技場のダッグアウトを仕事場とし続けられた,というのには,何らかの幸運が作用していてもまったく不思議はないと,個人的にも思うのです。


 では,「幸運」以外に何が作用したのでしょうか。


 何が,アレックスとの契約を継続させる要素だったのか,アウトサイドから推理するのは難しい話です。サー・アレックス自身の著書がありますが,こういう「難しい部分」にまで“Talking Straight”を貫いているとは思えない。ただ,少なくともアレックス・ファーガソンにファースト・チームを委ね続けようというクラブの意思,決断が大事なタイミングにあった,というのは間違いないでしょう。アレックス・ファーガソンというひとが,「対クラブ」のポリティクスでもしっかりと立ち回ることができた,という側面も恐らくはあるのかも知れませんが,それでもクラブが彼を選択し続けなければ,オールド・トラフォード競技場のダッグアウトを仕事場とし続けることは難しいでしょう。たとえば,今季終了をもってスタンフォード・ブリッジから去ることとなった,カルロ・アンチェロッティのように。昨季,タイトル奪取という実績を残しながら,それでもクラブの信頼を失えば,仕事場を失う。個人的に,この判断は納得のいくものではありません(それだけ,2009〜10シーズンのチェルシー,そのチーム・ビルディングはなかなかだな,と思っていたわけです。)が,プロフェッショナル・フットボールの持っている現実だ,とも言えるでしょう。


 ともすれば,ユナイテッドも同じような判断に傾いていたかも知れません。


 あくまでもアウトサイドが見れば,ですが,就任2季目が終わるという時期には,クラブからのリリースがあり得たかも知れない。その後,FAカップを奪取することには成功しますが,再び2季無冠の時期を過ごすことになる。綱渡りを続けるように,1992〜93シーズンを迎えていたのではないか,と思うのです。それでも,ユナイテッドは彼に委ねた指揮権を奪おうとはしなかった。預けたからには,という「覚悟」なのかも知れないし,根拠なき信頼なのかも知れない。オールインに近い,かなりギリギリの賭けだったかも知れない。しかし,結果としてその賭けに勝った。


 続ける,という決断は,続けない,という決断よりも難しい,のかも知れません。ただ,個人的に思うのは,続けるとしても続けないにしても,「クラブはどういうフットボールを狙っているのだろうか」という部分が,特別なリリースを読まずとも,クラブの歴史を見れば明確に理解できる,そんな「柱」を持っているのかどうか,が最も重要な要素なのかな,と思ったりします。


 ウェンブリーで対峙したバルサ,彼らのフットボール・スタイルはヨハン・クライフが源流と言われるけれど,さらなる上流域にはリヌス・ミケルスというクレジットを見つけることもできる。ミケルスさんを原点として考えるならば,彼らのフットボール・スタイル,その熟成期間はとんでもない時間軸で見るべきことになるのです。この原点を思えば,ファン・ハールが意外なほどに短期間だったことにも,何となく見えてくるものがある。ユナイテッドは,「新たな原点」をサー・アレックスに委ねたのかも知れません。熟成期間が長いフットボールが欧州カップ戦,その決勝戦でぶつかることになったというのは,偶然もありましょうが,意味ある偶然であるように思えるのです。