対新潟戦(11−13)。

チームが持っていなければならない要素が,複数置き忘れられているような。


 「勝ち点2」を確保できなかったことも当然に問題ではあるのですが,もっと根幹に関わる部分で課題を提示されているような,そんな印象です。


 「勝ち点3」を確保しきれなかった要素を思えば,追加点を奪取しておきたい時間帯に追加点を奪取できなかったこともあります。実際,「決めておかないと」という時間帯をつくれているのですから,その時間帯を逃してしまうと,フットボールでよく言われる話になってしまう。そして,「勝ち点2」を減算させてしまう局面を見れば,セットピースが起点です。このときの守備応対面で問題がなかったか。このゲームに限定して考えるならば,局面ごとの問題点を指摘するのも意味がある,と思うのですが,今季付きまとっているように感じる課題が,今節にあってもしっかりと見えているように思えるわけです。むしろ問題点としては,こちらの方が大きいのではないか,と。


 まいどの通りに,の新潟戦であります。


 ダッチ・フットボールなパッケージから,ブリティッシュフットボール的なパッケージへと変更を受け,その変更がある程度機能したように映りもします。しますが,パッケージだけが問題点なのか,と思うことがあります。そんな視点からゲームを見直してみよう,と思います。


 さて。前節の結果を受けて,今節はパッケージ変更へと踏み切ってきました。前節まではダッチ・フットボールな4−3−3(ミッドフィールドの役割を数字に反映させるならば,4−1−2−3)を基礎的なパッケージにしていたのですが,今節は4−4−2へとその基盤を変更してきました。微調整,という側面で見れば,右に入るウィンガー,そのポジションをトップに近い位置へと引き上げ,左のウィンガーをアタッキング・ミッドフィールドに近い位置へと再配置する。さらには,セントラル・ミッドフィールドをシングル・アンカーとして位置付けられる形から,コンビネーションを基盤とする形へと変更する。数字で表現するならば,4−4−2ウィングと4−4−2フラットの中間形態,のようなパッケージでキックオフを,という形になっていたように理解しています。


 戦術的な基盤の変更が,実戦でどれだけ機能するか。


 そんな視点で見てみると,前半は一定程度機能していたように見ています。前節まではトップにボールを繰り出してから,そのリターンを引き出すというシークエンスに持ち込めない時間帯があまりに多かった。ステーションがボールをコントロールするタイミングを相手守備ブロックに狙われている,という側面もあるし,ステーションからリターンを引き出すとして,その引き出すべきフットボーラーのポジションがステーションから遠く,その距離がなかなか縮まることがないなど,距離感がチームから攻撃リズムを奪っている,という課題が存在していました。前半に限定して考えるならば,比較的ボールを動かせていた,という印象を持ちます。たとえば,相手守備ブロックに対してチャレンジを仕掛けるようなパスを繰り出し,そのパスが攻撃面でしっかりと意味を持つ局面がつくれていました。チャレンジ・パスを仕掛けていく側と,そのパスを引き込もうとする側の意識が一定程度一致しはじめている,という印象ですし,パスを受ける側も「動けて」いる。今季,チームに付きまとってきた「距離感」という課題をちょっとだけ小さくできていた,というのが前半だったような印象を持つわけです。


 では,この流れがハーフタイムを挟んで継続できていたか,と見れば。


 残念ながら,このリズムを継続することはできなかった,と言わざるを得ません。相手は,中盤の構成を変更することでボール・コントロールをどのようにして奪い返すか,奪い返したボール・コントロールをどのように攻撃面へ結び付けるか,をあらためてチームに徹底させてきたように感じます。ごく大ざっぱな言い方をすれば,浦和のリズムに「乗せられていた」状態から,あらためて自分たちのリズムへと引き戻していく,という意思を後半開始直後から明確に表現しはじめた,と感じるわけです。


 そんな相手に対して,主導権を譲り渡すような形になってしまった。


 自分たちから「狙っていく」守備応対ではなくて,相手を「追い掛けていく」守備応対という形に再び嵌り込んでいってしまった。チームとしての機動性が低下した,という表現が使われたりしますが,自分たちが狙う守備応対の形に相手を引きずり込めているのであれば,機動性の低下はそれほど明確なものとならないはずですし,そもそも運動量を「賢く」使えるはずです。自分たちがどのようにしてボール奪取を狙うのか,そういう部分での戦術イメージがまだまだ曖昧なままに積み残されてしまっているから,リズムが相手に傾いた途端に,「引きずり回される」時間帯が多くなっていく。中盤の運動量が,「相手を引っ張り回す」方向に使えないために,ボール・コントロールを取り戻したときに使いたい機動性,運動量がどうしても下がってしまう,という,典型的な悪循環に今節も嵌り込んでいった,と言うべきではないか,と思うのです。


 さらにそもそもな話をすれば,今季は「どの位置」でボールを奪うのか,がピッチから明確に受け取れた時間帯があまりに少ない,というのが大きな課題だろう,と思っています。中盤がどのような役割を持って相手ボール・ホルダーに対してファースト・ディフェンスを仕掛けるのか,ボール・コントロールを奪い返すエリアをどのエリアにセットしているのか。そのために,チームをどの程度の距離感に維持しなければならないのか。戦術的な要素がピッチからある程度感じ取れていい,と思うのですが,そんな要素を感じ取れた時間帯がいささか今季は少なすぎます。ボールをどのようにして奪うのか,という戦術要素が明確なものになっていないから,攻撃面も守備面に引きずられるように機能低下を起こしているように受け取れるのです。たとえば,チーム全体をコンパクトに,という意図が浸透しているのであれば,もっと緻密にライン・コントロールが繰り返されていて不思議はない(浦研プラスで,福田さんが指摘するところですね。)のだけれど,ストリクト・マンマーク的な意識が強すぎるのか,カバーリングに意識が強く傾いてしまうためか,チーム・バランスをコンパクトに,と言うよりも守備ラインを引き気味にしてしまう時間帯が多くて,守備応対面でのチーム・バランスを自分たちから崩してしまう局面が今節にあっても潰し切れていません。


 4−3−3なのか,それとも4−4−2なのか,という問題に隠れているのは,「距離感」の問題であって,チームが維持すべきコンパクトネスの問題ではないのかな,と。


 さらには,距離感を縮めるためにも,コンパクトネスを維持するためにも必要なのが,チーム全体としての「機動性」でしょう。機動性をしっかりと使うためには,自分たちのフットボールへと相手を引き込み,離さないことが求められる。自分たちが表現すべきフットボール,という共通したピクチャーがあってはじめて,ネガティブな回り方をしているギアを,ポジティブ方向へと変換できるように思うわけです。コーチング・スタッフはここ数節を「観察」して,どのような要素が「機能」しているのか,逆に「不足」しているのか,読み取っているはずです。そんな分析がしっかりと「調整」に反映してもらわないと困る。


 新たなコーチング・スタッフが,新たな理想,新たなフットボール・スタイルを掲げるのは当然のことです。ただし。「現実」を基盤とする理想でなければ,と思うのです。理想へと近付くために,どのような現実との折り合い方がいいのか。4−3−3からの変更が,現実との折り合い方として適当なのか,個人的には疑問を持っています。「自分たちのフットボール」を確立する,というごく初歩の段階で足踏みをしてしまっている,だけでなく迷いを生じてしまっている。袋小路に嵌り込んでいる,とも感じますが,そんなタイミングだからこそ「原点」を「現実」と照らし合わせて見直す(=チーム・ビルディングのごく初歩に立ち戻る)ことが大事では,と思うのです。