再び辞退(南米選手権)。

ポリティクスはおまかせで,だったわけですね。


 翻意を促された時点で,何らかの協力が得られると踏んだのかも知れないけれど。


 いささか,ポリティクスを操る感覚に「甘さ」を感じます。皮肉を込めて書けば,内側なポリティクスが得意なひとであっても,外側方向のポリティクスが同じように得意だとは言えないし,むしろ外側がからっきし,というケースも結構ある。JFAについても例外ではなかった,ということではないでしょうか。


 さて。今回はこちらの記事をもとに,南米選手権について書いてみよう,と思います。思いますが,フットボールな話というよりは,ちょっとばかり「政治部」的な書き方になってしまうかな,と思います。


 フットボール,という要素を中心に見れば,以前と変わらず「もったいない」,と思ってしまう話ではあります。なかなか訪れないだろう強化機会だし,この強化機会を生かさぬ手はないな,と。前回,南米選手権について書いたとき,個人的なスタンスはポリティクス,というよりはフットボールに置いていましたし,何らかの「計算」があってフットボールな話ができているのかも,と思っていたのでした。


 しかしながら。「ある種の力学」を念頭に置いて考えると,リーグ戦が7月にセットされるという事態を想定しようとしまいと,南米選手権出場に向けたハードルは結構な高さがあった,と言わざるを得ないのも確かだろう,と思うのです。その鍵を握るのが,International Match Calender(FIFAオフィシャル・PDFファイル)であります。


 さてさて。南米選手権が開催される7月は,と見てみると,いわゆる“Non Applicable”であります。


 このことが何を意味するか。


 ワールドカップ開催年に常に問題となる,「6週間」のまっただ中に7月がある,ということであります。このカレンダーを見ると,国際Aマッチが組まれている,その基盤にあるのは欧州なスケジュールであります。あくまでも,フットボール・ポリティクスにおいて意識すべきは欧州である,ということを,このカレンダーがいみじくも示しているということにもなろうか,と思います。
 

 では,欧州クラブの基本的なスタンスがどのようなものになるか。CONCAFが,JFAを翻意させるために持ち出した「大義名分」が理解できない,とは決して言わないでしょう。そもそも,理解できないようであれば,欧州カップ戦などで日本に対するメッセージを持たせる,などというアイディアは出てこない。反面で,貴重な戦力であるフットボーラーに,しっかりとした休暇,自分のメインテナンスをしてもらうべき時期を潰すような提案に首を縦に振るわけにはいかない。そして何より,「どうしても」選手を出さなければならないとは,あのカレンダーからは読み取れない。強制力がないのならば,敢えて出すこともない。


 「総論賛成・各論反対」で,結果は反対と。こういう結論が出てくることは想定されていたこと,のはずです。JFAとしても,この結論に対する想定がなかったとは思わない。ただ,JFAはちょっとばかり「読み」が甘かった,というか,楽観的な見通しをしてしまった,ということになるのかな,と思います。ちょっと前のスポーツ・メディアには,FIFAやCONCAFが選手招集に対して中立的なスタンス,などという話が出てきていました。(再)辞退,という話へと大きく動き出したとすれば,恐らくはこのタイミングではないでしょうか。


 要は,FIFAやCONCAFが何らかのサポートをするものと思って,JFAは翻意をしたのだろう,と思うのです。「招待出場」であって選手招集に対する強制力がないことを理解していて,翻意したのだから何らかの確信があったのではないか,と。


 ただ冷静に見れば,このカレンダーに拘束されるのはCONCAFも同じなのです。CONCAFに属する各FAも,欧州を主戦場とするフットボーラー,彼らが所属するクラブとの交渉にあたらなければならないし,CONCAFがサポートするのであれば,まずはエリア内の各FAである,というのも確かなことだろうと思うのです。
 今回の決定は,フットボール・フリークとしては残念なものです。南米のフットボール・ネイション,彼らとの真剣勝負というチャンスが失われるわけですから。ですが,「出場」となると話が変わって,ポリティクス,リアリズムという側面が強くなる。交渉相手との綱引きで,何らかの「強み」を持てる状態になってはじめて,このリアリズムを打ち破ることができる。そう考えると,国内事情以前の問題として,厳しさ(難しさ)を内包していたということになるのかも知れません。