ジョゼとレアル。

恐らくは,「結果」が至上命題だったのでしょう。


 タイトル奪取「だけ」を徹底的に意識して,ジョゼを選択した,と。ファビオ・カペッロにファースト・チームを預けたときと周辺事情は似ているな,と思うわけです。で,ファビオ・カペッロはどうなったかと言えば,タイトル奪取という結果を出しているにもかかわらず,クラブを去ることになるわけです。カペッロが指向するフットボールと,クラブが表現することを求められているフットボールとの相違がある,と。


 ここでアウトサイドは疑問に思うのです。


 彼らが求めるフットボールとは何なのか,と。


 個人的に追い掛けているクラブ,というわけでもないのですが,不思議と「気にはなる」クラブと言いますか。レアル・マドリーでありまして,ここでも不定期ではありますが取り扱ってきています。今回は,Yahoo!にアップされた,ナンバーの記事をもとに書いていこう,と思います。


 さて。レアル・マドリーが狙うフットボールとは何なのか,という疑問でありますが,個人的には「明確な解を引き出すことができない問題」であるように思うのです。「結果」を引き出すための最短距離を狙うフットボール,そんなフットボールを操る指揮官を呼ぶ時期があれば,チームに徹底してディシプリンを求める指揮官を呼ぶ時期もある。かと思えば,クラブに在籍するフットボーラーとの融和を意識する指揮官を呼ぶ時期もある。過去数季を振り返ってみて,明確に「レアルが狙っているフットボール」が描けるか,となると,いささか厳しいような気がするわけです。


 そして今季は,どこかカペッロがチームを率いていた時期と重なります。


 カペッロにしても,そして現任指揮官であるジョゼにしても,理想主義者としての側面と現実主義者としての側面と,どちらが強いか,となれば,「圧倒的に」現実主義者としての側面が強い。結果を引き出すためにとり得る現実的な選択肢は,決して排除しない。個人的にはスタンフォード・ブリッジでのジョゼの印象がいまだに強いのですが,あのときの強さは機能という要素を徹底して突き詰めた,その先にある強さであるように感じていました。彼のパーソナリティによって,フットボーラーが持っている「個」を「組織」に組み込んでいく。「個」の能力が高いチームで,組織性の強いフットボールを意識させるわけだから,「ほかのやり方」を望むひとも確かに多いだろう,と思うのは確かです。ただ,それでも今季開幕前にクラブが選択したのは,エレガンスよりもリアリズムだったのでは?と思うのですね。


 アウトサイドから見れば,圧倒的な「個」を持っていながらアンチ・フットボールな戦術を得意とする指揮官を選ぶのか,となりますが,レアルというクラブに関わるひとたちからすれば,微妙に異なるニュアンスで語られることになるのかな,とも感じます。「個」をもうちょっと生かせるフットボールを,という言い方をされるひともあろうし,反面でリアリスティックであろうと何だろうと,タイトル奪取という結果を引き出せるフットボールが大事なのだ,と思うひともあろうし。


 ただ,同時に思うのは,「究極の二兎」を常に追うことを求められるのがレアルというクラブかな,と。


 「個」の煌めきも見たいけれど,その煌めきだけで結果が出ないフットボールは許されない。反面で,あまりに機能的なフットボールでは,「結果」を引き出そうとも否定されかねない。ちょっとしたきっかけで簡単にバランスを失ってしまうテンビン,そのテンビンにちょっとずつ分銅を乗せたり取り外したり。その連続を繰り返せるだけの「強さ」を持った指揮官が求められている,と見れば見えないこともない。ただ,そういう人物はそういないように,アウトサイドは思ってしまうのです。