OUR Matchday returns.

3月第1週までは,間違いなく「日常」に組み込まれていたフットボール


 思えば,競技場へと足を運ぶフットボール・フリークにとって,フットボール「日常」の枠を大きく踏み外すことのない「非日常」なのだな,と再確認します。もちろん,喜怒哀楽が90分プラス,という時間枠の中で煎じ詰められたような感覚は,非日常的だと言っていいのかも知れません。でも,それは日常がしっかりと流れていてはじめて成立する非日常性なのだ,と否応なく再確認させられる,そのきっかけとなったのが3月第2週の週末,その直前のタイミングでした。


 そして,4月第4週の週末を迎えて。


 いろいろな見方があるかも知れませんが,プロフェッショナル・フットボールが戻ってきたし,戻ってきます。「オレたちの」,と確信を持って言うことのできるフットボールが。


 世界最高峰,などと形容されるフットボールと比較すれば,速さや鋭さ,強さが,という評価を受けるかも知れないし,戦術的な面白さなどで,などという言われ方をするかも知れないけれど。彼らのフットボールが息づいている,その場所にいるわけでもないし,ましてやそこで生まれ育ったわけでもない。「日常」の中に,残念ながら彼らのフットボールは,なかったのです。


 でも,不思議と劣等感がなかったりするのです。むしろ,優越感を持っていいのかな,と思うところがあるのです。そんなことを思わせる,リーグ戦の帰還でした。


 フットボール・ネイションに住んでいるひとたちがどうやっても体験できない,プロフェッショナル・フットボールが動き出した「原点」を知る機会に恵まれている。そして,リーグが地域へと根付いていく,その過程をともに歩くことができている。ある意味,これ以上ないしあわせなのかも知れません。そして,地域に根差していく中で,フットボール・クラブが地域の誇りを背負うようになっていく。その過程を見届けることもできているわけです。そして,この「地域の誇り」がいまこそ強く求められているタイミングもないのかな,と思うのです。


 地域の誇りを背負う,オレたちのリーグ戦が戻ってくる。


 そして,中野田にフットボールが戻ってくる。実際にリーグ戦が動き出してしまえば,「勝ち点」奪取やフットボールの熟成度など,さまざまな要素に意識が傾いて,自然と「いつものリズム」に戻ってくるのだろうけれど,いまは「フットボールが手元に戻ってくること」にうれしさを感じたりしているのです。