コパ・アメリカのことなど。

貴重な実戦機会であることは間違いありません。


 フットボール・ネイションのフットボールとの具体的な距離を,アウェイな実戦を通じて正確に感じ取ることのできるチャンス,でもありますし。「勝ち点」奪取だけでも相当なハードルでありましょうが,そんな厳しいゲームを通じて,代表チームが表現すべきフットボールを進化させていく,そのためのヒントをつかめれば。


 同時に,リーグ戦という基礎構造を疎かにするわけにはいかない,というのもまた確かなことです。本来ならば中断期間だったはずの期間を,リーグ戦に振り向けなければすべてのスケジュールを消化できないわけですし(天皇杯について,何らかの方法論を持っているというならば,また話は別なのでしょうが)。大事なリーグ戦で,主力選手が抜かれることによってこの時期の戦績が,スタンディングに決定的な影響を与えるようなことがあったとすれば。そんな懸念は当然の懸念だろうし,理解もできる。


 「理」と「理」ですから,なかなか難しい。


 今回は,フットボールの話でありまして,コパ・アメリカの話であります。


 ごく大ざっぱに書けば,JFAとしても対応に苦慮してしまっている,という感じに映ります。


 スポーツ・メディア各紙の動向をちょっと思い出してみると,会長が事情説明に赴く,というタイミングでは「辞退」という方向性で複数紙が記事を構成しておりました。恐らく,JFA内部としてもリーグ戦の中断期間を中止したリーグ・スケジュールに振り向ける,というJサイドの打診を受けて,内諾をしていたのではないかな,と。リーグ戦が中断期間として位置付けられていた期間にも行われるとすれば,各クラブが代表選手の招集に対してポジティブな姿勢を示すはずもない。マイスター・シャーレへの勝負権を争う,あるいは降格という事態を避けるための戦いは何もリーグ戦終盤だけに限定されるものではなくて,ひとつひとつのゲームで獲得できる「勝ち点」,その集合が終盤になって大きな意味を持ってくるのだから,リーグ戦を動かしながら選手を代表に,という選択は限りなく不可能である,と。そういう状態を意識して,「辞退」を念頭に赴いたのでありましょう。


 しかし,であります。


 相手側から眺めてみるに,辞退という話は理解できるにしても,時期的に厳しいタイミングで辞退を言われてしまった,という感覚もあったかな,と感じます。トーナメントが実際に動き出すまでのリードタイムは十分とは言いがたいものがあります。辞退というお話を承ったとして,では替わるチームを呼ぶにあたって,そのオファーに応えてくれるチームがあるのかどうか。オファーに応えてくれるとして,しっかりとした体制を組んでチームを送り込んでくれるのかどうか。そういう懸念もどこかにあったでしょうし,もちろんオフィシャルな理由として出てきている,「日本の復興に力を貸したい」ということも当然ながら大きな比重を占めているでしょうし。思うよりも熱心に「翻意」を促されてしまった,という感じなのかも知れません。


 さて。どのような方法論が想定できるかな,と思うに。


 まずは,海外組をフルに活用するのは当然でありましょう。前任指揮官時代から呼ばれている海外組だけでなく,海外を主戦場とするフットボーラーすべて,を考えると,かなりのリストになるはずです。そのリストに,「足りない戦力要素」をどのようにして追加していくのか,が考えようなのかな,と思うわけです。そこでみなさん指摘されていますが,たとえばU−22から選手を,という方向性があり得るかな,と思います。2012以降を思えば,代表チームの中核として活躍していってもらわないと困るフットボーラー,という位置付けになるはずですから,ちょっと早めのタイミングではありますが,ザックさんのフットボールに触れてもらう,と。ただ,各クラブでスターターとして位置付けられているフットボーラーは,当然ながら招集が難しい。それだけに,U−22の範囲は通常よりも広めに意識する必要があるのかな,と思います。大学サイドとの下交渉も重要な要素となるはずですが,大学リーグを主戦場とするフットボーラー,そしてU−22スコッドにクレジットされる(かも知れない,を含めて)フットボーラーもリスティングすれば,ある程度選択肢を広げることができるのではないか,と思うところです。


 貴重な実戦機会なのだから,「最強」のパッケージで,という発想ではありません。むしろ,貴重な実戦機会,厳しい環境だからこそ,その厳しい環境下で将来的な布石を打つ,という方向性でリストを組む,というのもひとつの方法論かな,と思うわけです。


 日本のフットボールにとって,重要な基礎構造であるリーグ戦も厳しいやりくりを強いられるシーズンです。ちょっと見ればエゴイスティックに映るかも,だけれど,基礎構造が失われた状態で上屋が存立するはずもない。それだけに理解できる姿勢でもある。と同時に,その基礎の上に構築される上屋たる「代表」,その存在感が求められる時期なのかも知れない,という思いもある。その2つをやりくりする,知恵をみんなで集めてみてもいい,と個人的には思うところです。