想いよ、届け。

フットボールがある日常って,こうだった。


 そう思わせる空気が,長居にはあったな,と思います。


 フットボールは日常にしっかりと織り込まれた非日常な存在で,それだけに喜怒哀楽が短い時間に煮詰められたような感じを持っていました。そんな非日常は,日常がごく当然に「日常」としてそこにあるからこそ成立し得たこと。その日常が大きく揺らいでしまえば,非日常どころではなくなってしまう。でも,少しでも日常の感覚を取り戻してもらえる,そのきっかけがこういう非日常であってくれれば。フットボール・フリークのひとりとして,そう思うところです。


 Jという基礎構造があって,はじめて構築できるチームが代表チームだとして。その代表が表現する思いは,間違いなくJの想いであるはずだし,Jは日本のフットボールの最上位に位置するリーグでもある。そのJが表現する想いは,日本のフットボールに関わるひとたち,すべての想いである,と感じます。


 遠藤選手や岡崎選手,そしてカズ選手の想いはそのまま,みんなの想いでもある。その想い,届いてくれるといいと思うし,きっと届く,と思っています。