M8.8、あるいは8.9。

知識として,知っている話ではあるとしても。


 その知識を軽々と超えていくような事態を,自然はもたらすのだな,と。


 その瞬間,私は銀行へ足を運んでいました。


 足許が不自然に揺らぐような,不思議な感覚があった。その不思議な感覚が地震動と結び付くにはちょっとだけ時間がかかったのです。実際にはそれほどの時間が経過したわけではないのかも知れませんが,不思議と時間が経過したような感覚だったのも確かです。その後,明確に横揺れを感じて。自動ドアから見える風景も揺れているし,当然銀行店内も揺れている。ATMか,何の機械か分かりませんが,エラーを発生しているようなアラームが鳴っている。そんな時間が過ぎて,やっと揺れる感覚が薄れてきて。


 私が現実にいるエリアでも,いつもとは違う揺れを感じた。どこかほかのエリアでは,相当なことが発生しているのではないか,と感じました。できることならば,外れていてほしい予感ですが,実際にはその予感を上回るような事態が発生していたわけです。専門家の方が指摘する,津波の恐怖。「知識」として理解しているつもりであるとしても,実際に映像で黒い塊のような水が襲ってくるのを目にすると,ひとの想像を自然というのは軽々と超えていくのだな,と思い知らされます。


 だからと言って,思考停止に陥るわけにはいかないな,とも思います。ただちに何かができるわけではないとしても,自分の範囲内でできることを考えていくこと,実際に行動に移していくことが,大きな被害を受けなかった立場の人間がすべきこと,だと思っています。


 いまも,自衛隊の方や警察,消防関係の方々は活動をしてくれています。当然,各自治体のひとも事態を少しでも好転させようと奔走されているはずです。このタイミングで,救助の心得もない人間が被災地域に,という選択肢はとるべきものではないはずです。何もできない,という思いがあるとしても,その思いを心に取っておくべき時期なのだろう,と思うのです。そういう時期を過ぎてからが,もっと大変なのだろう,と思います。時間も必要になるだろうし,モノ,そして当然おカネも大事な要素になってくるはずです。そんな時期に差し掛かると,みんなのチカラがほんとに大事になるのだろう,と。


 できること,すべきことを考え,実際にする。そういうことを心にとめています。