浦マガの記事から思うことなど。

端的に言って,理解できないですね。


 実業団としての歴史も確かに引き継いではいるけれど,プロフェッショナルになってからを考えると,まだ「高校生」程度でしかない。欧州を成熟した年代(それだけに生活習慣病的な問題も発生していると,個人的には思っているけれど)と考えるならば,高校生どころかヨチヨチ歩き程度でしかない,とも言える。
 なのに,求めているものはレアル・マドリーに求めているようなものであり,あるいはマンチェスター・ユナイテッドに求めているようなものであり。個人的には,不思議でしかないですが。


 浦マガで,島崎編集長と各スポーツ・メディア記者との議論が記事になっておりますが。


 問題の根幹にあるのは,「どういう評価基準を持って記事を書いているのか」を明示していないことにあるかな,と感じます。浦和に対してネガティブな意識を持っているのか,それともどうなのか,という話ではなくて,どのようなフットボールを理想として描いているのか,どのようなクラブ・マネージメントを意識して批判の矛先を向けているのか,その背景を明示することが求められているのだろう,と思うのです。記者個人,ではなくて,会社としてどう思っているのかを明示すべきだ,と。しかしながら,どうも明示されているとは思えない。


 彼らは,浦和に何を期待しているのかな,と思うと,どうも欧州のリーディング・クラブとしての姿かな,と思うのですね。


 たとえば,フットボール・クラブがシンプルな成長曲線に乗ったままでいられるでしょうか。


 0%と言い切ることはできないとしても,0%に近いどこかに落ち着く可能性はあり得るか,と思います。強さに対する循環,あるいは揺れ幅を考えれば,その揺れ幅をしっかりと意識しないでクラブ・マネージメントをしていれば,落ち着く位置は限りなく0%に近付く,と。


 どんなにパーフェクトなチームを組んだとしても,そのパーフェクトさを維持できるか,となると難しい。フットボーラーとしてのピークを,チームとしてのピークに結びつけられる時期は,決して長くはないはずだから。となると,どうチームを循環させるか,という話になる。当然,実力ある選手を引っ張ってくる,というのがひとつの方法だろうけれど,そのためには資金的な裏付けが重要です。ただ,資金的な裏付けにしても,ある程度の循環があるのは間違いないところでしょう。減収に転じる時期にしても,恐らくは不可避でしょう。それでも,強さが維持できていれば落ち込みを最低限に抑え込める,と言うけれど,そもそもフットボールの訴求力とは,「強さ」だけだろうか,と。当然,強さを否定するものではなく,追い求めるべき最右翼の要素だけれど,それだけが存立基盤だとしたら,あまりに貧しい。無理に「強さ」を狙うようなことがあれば,かつてのリーズのように,フィナンシャルな方向からクラブの根幹を揺るがすことにもなる。
 強さを維持しよう,と足掻き続けても,なかなか難しい側面が付きまとうのがフットボールという世界ではないかな,と思うのです。


 「強さ」を,インスタントに求めることができない,求め続けるのが難しいから,フットボールは怖くもあるけれど,魅力的でもある,と。ただ,その魅力を理解しているとは言いがたいひとたちが,メディアにどうも多いな,と感じます。


 フットボール・クラブは,全国区的な発想を出発点に構築されるものではなくて,ローカルな部分から構築される,と感じています。確かに,「強さ」は全国区的な要素へと結びつきがちだけれど,そんな要素は「地元意識」からはともすれば相反するところに行ってしまう懸念も孕む。マンチェスターを本拠地とするクラブ,シチズンズもユナイテッドも同じだけれど,強さだけに意識が傾き過ぎてはいないか,と思うし,“The Pride of Manchester”という言葉が似合うクラブだろうか,という(アウトサイドではあるのだけれど)懸念を持ったりもするのです。強いけれど,本来の基盤であるはずの浦和,その存在感が希薄になったクラブというのも,何かが違う,と思うのです。
 強さを失った浦和,という見方もできるかも知れないけれど,「全国区」のような,何とも不確かな存立基盤に足を踏み込みかけたクラブが,再びアイデンティティである浦和を意識する,その大きなきっかけになった,と見ることもできるか,と思うわけです。


 ポジティブなものも,ネガティブなものも合わせて,「浦和の歴史」。


 その歴史を積み重ねる中で,リーディング・クラブへの階段を上がっていけばいい。慌てる必要もないし,無理に駆け上がっていく必要もない。踊り場があるかも知れないし,ときに下りる必要性が出るかも知れないけれど,階段を上がっていく,という意識がある限りは,再び上がっていけるはず。インスタントなものでもないし,欧州の時間軸からすれば,まだまだ始まったばかり。動じることなく,追い掛け続けてやろう,と個人的には思っています。