月曜日のリリースに思うこと。

チーム・ハンドリングに疑問を感じる部分は,確かにあった。


 「勝ち点3」を奪取できない時期があった,ということも確かに重要かも知れないけれど,むしろ個人的にはチーム・バランスの悪さが気になったところです。
 積極的に,野心的に,という言葉がより適切かも知れないけれど,ユースから選手を昇格させ,将来的な主力として位置付けようとした。将来的な基盤を構築しようとした,その姿勢は浦和にとって,大きな意味を持ってくれるはずだと思っています。
 いますが,そのときに彼らが皮膚感覚でプロフェッショナルなフットボールを感じられる,経験豊かなベテランとは誰だったかな,と思うのです。ユナイテッドにとってのエリック・カントナ、あるいはテディ・シェリンガムのような存在が,残念ながら2009シーズンからの浦和には見えていなかった。ネガティブに考えざるを得なかったのは,こんな部分です。ただ,フットボール・スタイルとして不満に感じる部分はそれほどなかった,とも言えます。


 浦和が表現すべきフットボール・スタイルと,現実とをどのように折り合わせるか。


 クラブ・トップが,ニュースリリース(浦和オフィシャル)で指摘するポイントですが,コーチング・スタッフに責任を求めるべき話だろうか,と疑問に感じる部分です。


 コーチング・スタッフが戦術的な約束事として落とし込む,という方法論もあり得るのかも知れませんが,個人的にはピッチに立つひとりひとりのフットボーラーが「考える」べき要素だったように思うのです。「何か」を授けるのも一策でしょうが,それは「硬直」を招くことにもなる。応用という要素がなくなっていく。これでは,新たなフットボールに踏み込む意味などないだろう,と思うわけです。
 組織で相手を揺さぶるフットボール,であれば,特定の「誰か」にボールを繰り出せればそこで攻撃のビルドアップは終わり,などということはなくて,局面によっては最終的な局面に関与するために顔を出す,そのためのリスク・テイクも必要になるはずです。
 このことを裏返せば,誰がファースト・ディフェンスに入るのか,決まっているはずもない。ポジションを積極的に循環させる必要があるのですから,誰がボール奪取を仕掛けるなどと,決められるはずもない。「考えて走る」フットボールだった,と思うのです。パスを受けるためのフリーランにしても,ボールを奪うためにボールホルダーをチェイスする,そのためのフリーランにしても。ポゼッションを狙う,ということを言い換えるならば,リズム掌握を狙う,ということになるはずです。ボールを奪ったら縦に鋭く,だけでなく,相手が焦れるのを待つことも方法論のひとつだったはず。このことは「ひとつの方向性」だけに思考が傾いてしまいがちだった,ゲーム・コントロールとして未熟だった,と言うべきなのだろうと思うのです。
 「先」を意識し,考えていないと,チームのフットボールは機能が落ちる。考えることが落ちても,走ることが落ちても,チームとして表現できるパーセンテージは低下していく,そんなフットボールを描こうとしてきた。


 シーズン最終盤,時期的には遅いかも知れないけれど。


 チームは,「爪痕」を残せる態勢を整えつつあるな,と感じます。必ずしもスタンディングに影響を与えないゲームであっても,「勝ち点3」奪取への貪欲な姿勢を見せてくれている。そんなチームに,コーチング・スタッフに「ええカッコ」をさせてやりたい。描いてきたフットボール,その到達点として,あの小さなカップに「爪痕」を残させてやりたい。


 そんなことを,思ったりします。