対広島戦(10−14)。

鬼門だ,という意識があるうちは,確かに鬼門でありましょう。


 要は,「意識」が影響を与えているように映るのです。


 4バックがどうだとか,セントラル・ミッドフィールドの組み立てがどうだとか。フィニッシュへの意識が薄いとか,アウトサイドからのダイアゴナル・ランがあまりに少ないとか,シザースを繰り出せるタイミングなのに,決してシザースを仕掛けないとか。すべて軽視できる要素ではありませんが,さらに重要視しなければいけない要素が,心理面にありそうな感じがします。


 広島戦であります。まいどの1日遅れであります。


 端的に言ってしまって,素直過ぎはしないかな,と思います。


 狙うフットボールがあって,そのフットボールを「常に」表現しなければいけないとでも思っているように受け取れる。特に,高い機動性が必要とされる攻撃面での浦和らしさを,しかも相当に低い位置から表現しようとしているように。


 もうちょっと,「狡賢く」なってはどうだろう,と。


 相手守備ブロックを揺さぶる,焦らすようなワンステップがあってから,攻撃リズムを引き上げるのではなくて,最初から攻撃リズムを引き上げてしまうから,相手が網を掛けているエリアでの「加速」が機能していかない。減速してしまうタイミングを狙って,ボールを奪いにきている相手に対して,絶好のポイントを提供しているような形になっていたように感じます。そもそも加速してしまっているから,さらにここから加速しようと思えば,ボールを引き出す側にしても,ボールを繰り出す側にしてもさらに機動性を引き上げないといけない。局面によっては,あるいは時間帯によってはさらにチームとしての機動性を引き上げないといけないタイミングが出てくるでしょうが,この高機動性をフルタイムで表現するのは,当然ながらに無理がある。ボール・コントロールを奪われたときの対応,そしてボール・コントロールを奪うという要素を考えるならば,なおさらに。
 守備応対,という側面から考えるならば,“ブロック”というイメージが薄くなっているために,ボール・コントロールを失ったあとの,守備応対への切り替えが遅い。ボール・ホルダーに対するファースト・ディフェンスが不明確だから,相当にエリアを奪われる形になっている。


 運動量が低下しているから,攻撃面や守備面が機能しない,のではない。
 むしろ,自分たちから運動量を「狡賢く」使えていないから,攻撃を加速させようというタイミングで加速させられないし,そのために守備応対で振り回されることになっている。クラッチを蹴飛ばして,ギアを落とすタイミングが早すぎるように見えるのです。


 チーム全体の意識として,相手を焦らしてから加速しても構わない,という開き直り,と言うか,明確な割り切りが求められているような印象を持ちます。落差をもっと明確にしてもらって構わない。自分たちから焦れる必要なんてない。ポゼッションから相手を揺さぶるのであれば,まずは自分たちがリズムを握る,という意識を徹底しないと。チームの意識がまだ,ひとつの方向性になっていないな,という感じがしますし,意識の方向付けがしっかりしないと,「鬼門」は鬼門のまま,になっていくように感じます。