水原のことなど。

水原華城とか,行ってみたかったのですが。


 実際には,「直行直帰」でありました。そもそもホテルへのチェック・インも済ませていなかった状態ですから,ともかく早く競技場から移動しないといけない状態でしたし,翌日は翌日で移動を控えていましたし。宿泊をしてはいるのですが,実質的な弾丸ツアー状態だった,というわけです。


 浦和からのリリースを読んで,思い出してしまいました。水原三星が本拠地とする,ワールドカップ競技場には,実際に足を運んでいたのだったな,と。


 今回は,2002年当時のことを書いていこうと思っています。


 きっかけは,かの悪評高いオンライン・セールスでした。


 もともとは,TV桟敷を決め込もうと思っていた,と言いますか,神輿は見るよりも担がないと,ということで,ボランティア・スタッフとして動いていた(活動期間が,大会開催前で終了していたのはここだけの話。)のでありますが,韓国開催分も日本から購入可能,ということで,「せっかくだから足を運んでおこうではないか。」と思い立ち,急拠日程を組んで計画を立てたのでありました。韓国まで足を運ぶのであれば,せめて2ゲームは見ておきたい,と。で,到着当日のゲームが,水原ワールドカップ競技場でのアメリカ−ポルトガル戦であったのです。


 仁川に降り立つと,水原に向かう高速バスであります。結構,移動に振り向けられる時間が多くはないタイミングで仁川に降り立つ形でありましたから,ノンビリと電車移動で,などという選択肢は取りようがなかったのです。幸い,高速バスはワールドカップ競技場に横付けするような形で停車してくれるとのことで,迷うことなく乗車,であります。


 競技場への道程を思い出してみると,基本的には道幅が広いな,という印象が残っています。同じアジアなのは確かなのですが,どこかにアメリカンな雰囲気を漂わせるような道路標識も。


 競技場に足を踏み入れてみると,確かにセイン・ピスタが持っている臨場感はあるな,と感じました。持っていたチケットはバック・スタンドのアッパー・デッキの座席チケットでありましたが,ピッチへの距離をそれほど強く感じるものではなかったな,と思い出します。その代わりと言ってはなんですが,傾斜は結構きつかったようにおぼえています。


 試合を振り返ってみると,どこかで今大会を思い起こさせるような形でしたね。欧州勢が,思うように加速態勢をつくれないで,むしろ伏兵的な存在だったチームが鋭い加速を見せている。このときのポルトガルも,タレントという側面を考えるならば決してポテンシャルが低いはずもないのですが,アメリカに先手を取られて,リズムを自分たちに引き寄せられないままに終わってしまった,という感じでありました。そうそう,このときのレフェリーはR16で一躍その名を轟かせることになる「あのレフェリー」だったのであります。


 振り返ってみれば,まだこの競技場には「生活感」が希薄だったかな,という思いもあります。確か,水原を本拠地とするクラブもこの当時は違った競技場をホームとしていたはずで,さらには日本国内の競技場もそうでしたが,ワールドカップ仕様だったために,どこか違う競技場に足を運んでいるような感覚になったのだろうな,と思ったりもします。それだけに,「水原のホーム」としての競技場を感じてみたかった,というのも確かだったのですが,さすがに日曜日のナイト・マッチとなるとハードルはかなりの高さになってしまいます。観光も含めて再訪を,と思っていただけに,「日曜日でなければな。」と,どうしても思ってしまうところです。