鎌田学選手のこと。

必ずしも,本流だけを歩いてきたキャリアではなかったかも知れません。


 ポディウムのど真ん中に立つ,という経験をしているのですから,実力ある選手であることは言うまでもないことでしょう。レーシング・バイクの状態を的確に言葉にすることができる,そして熟成の方向性を明確に示せるという信頼感があったからこそ,開発担当としてのキャリアを積み上げてきたのでしょうが,本流としてのめぐり合わせがもっとよかったならば,とどうしても思ってしまいます。


 安らかに,と思うべきなのでしょうが,早すぎる,とどうしても思ってしまいます。今回は,フットボールを離れまして,鎌田学さんのことを書きとめておこう,と思います。


 ホンダとの関係がすごく深くて,でもヨシムラとの縁もあったりする。鎌田選手のキャリアをごく簡単に言ってしまえば,こんな感じです。
 鎌田選手とヨシムラとの関係は,1シーズンだけでした。その1シーズン,ヨシムラにとっては大きなチャレンジへと踏み出したタイミングだったな,と思い出します。GSX−Rでのレース参戦ではなく,ハヤブサでの参戦を決めた時期なのです。フレームなどを見れば,GSX−Rとの共通性がまったくないとは言えないけれど,レースをもともと視野に入れていないバイクをサーキットへと持ち込み,勝負権を持ったレーシング・バイクへと仕立てていく,というチャレンジをしていたのです。そのときに,鎌田選手はヨシムラのライダーだった,というわけです。


 そんな鎌田選手が,1シーズンだけで移籍する,となって,違和感があったのも確かです。X−フォーミュラ・クラスを制したライダーでもあるし,もったいないではないか,と。しかし。ホンダは彼を放ってはおかなかったのだな,とその後のリザルトで納得しました。そして,ホンダが彼を起用したいと思った理由が,もともとレースを意識した設計ではなかったハヤブサを,的確に戦闘力を持ったレーシング・バイクへと導いた能力だったのだろう,と。
 野球で言うならば,頼れる代打,と言いますか,フットボールならば,リザーブではあるのだけれど,チームに安定感をもたらしてくれる,そんなフットボーラーと言いますか。当時のエース,そのエースの代役であったり,世界選手権を戦うトップ・ライダー,そのサポートを任される役回りでありながら,決して存在感が薄まるようなことはなかった。


 無理をするような感じがなかっただけに,筑波でアクシデント,という話があったときはまさか,と思っていました。いぶし銀な活躍をしてきたライダーが,いなくなってしまった。まだまだ,さまざまな場面で姿を見たい,と思っていたので,寂しい限りです。