使い慣れない理想より、使い慣れたリアルを。

どう見ても,遅すぎたテスト。


 必要に迫られてのテストだった,というエクスキューズもある,かも知れません。それならば,テストするフットボーラーに対して,持てるストロング・ポイントをしっかりと引き出せる戦術的な基盤を提供する必要はあるでしょう。戦術的な失敗,という側面からセルビア戦を見ることもできますし,同じ失敗を繰り返さないためにも戦術的な検討は重要だ,とは思います。


 思うのですが。


 チーム・マネージメントと言いますか,タイム・マネージメントで決定的な「積み残し」をしてきたことの結果が,セルビア戦の結果に結び付いている,というように見えてしまいます。今回は,代表関連の話をちょっとだけ。


 端的に言ってしまえば,チーム戦術がフットボーラーがそれぞれ持っている「クラブ仕様」のモザイクであって,戦術的なイメージのすり合わせが選手間のコミュニケーションに委ねられてしまっている可能性が,あまりに高いこと。CBが欠けたであるとか,セントラル・ミッドフィールドの構成が違ってしまったであるとか,あるいはSBが入れ替わったであるとか。サスペンションや負傷などを考慮に入れれば,当然にあり得べき事態です。にもかかわらず,チームのパフォーマンスがスターターの変更,という事態にあたって「急降下」とも言えるような状態に陥ってしまう。チームとして,共通するイメージを持っている,というのではなくて,あくまでもスターターが固定されているから,感覚的に理解できているイメージでしかない,と。


 代表としての確固たるフットボールが描けていないから,新たなタレントがチームに入っていくと,タレントが機能するのではなくて「異物感」のようなものになってしまう。のみならず,どうしてもやり慣れている「クラブのフットボール」に引きずられることになるから,クラブのフットボールが違っているのは当然であって,守備的なイメージも必然的に違っていく。これでは,戦術的に徹底してきた相手に対して,無防備という印象を受けるのも道理ではないか,と。


 これまでのツケをしっかりと払わされることになったのが,セルビア戦だった,という印象を持つのです。ではあるのだけれど,この指揮官はもともと,極端とも言えるようなリアリストだったはずで,シンプルに戦術的な約束事を落とし込むに長けていたはずでもある,と思っています。
 いい加減に「リアリスト」であることを前面に押し出したらどうだ,と思います。「世界を驚かせたい」と本当に思うならば,どうしても「結果」から逆算した戦いが必要になるはず。徹底的にやるべきことを絞り込み,チーム・タスクを明確にする。スターターやリザーブには,徹底的に戦術的な約束事を落とし込む。掲げた理想は理想として尊重するけれど,チームが機能不全に陥ってしまっては何の意味もない。今のままのチーム・ビルディングでは,時間が足りるはずもない。いまこそ,かつての姿に戻るべきではないか,と思うのです。