足りなかった、「オレたちのチーム」のために。

代表チームは,リーグ戦の権威を背負っている。


 もちろん,クラブという軸足を持っていますから,代表「だけを」分離して見ることはできないし,どうしてもクラブ目線で代表を見ることにはなります。なりますが,クラブ「だけ」を意識して,代表に無関心,というわけにいかない,というのも確かです。代表チームが国際的なプレゼンスを示せなければ,それはつまり,自分たちが追い掛けているリーグ戦が低く見られるようなものではないか,とどこかで思うわけです。
 いわゆる,フットボール・ネイションズと比較すれば,プロフェッショナル・リーグとしての歴史は浅いのかも知れないけれど,代表チームが「強さ」を示すことで,代表の基礎構造でもあるリーグ戦の評価も高まる。そういう循環であってほしい,と思うのですが(ちょっとだけ,フットボール方面での「他意」も含んでいるような,いないような。),バンクーバーではその循環が機能低下してしまっている競技のことを,思わずにはいられませんでした。


 今回は,アイスホッケーのことを書いていこうと思います。


 決勝戦が,北米決戦の舞台となる。


 それだけでも,注目される要素はそろっていた,と言うべきでしょうが,試合展開もまた,アイスホッケーという競技に注目を集めることになった,ように感じます。特に,地元であるカナダでは。
 そんなことを実感するほどに,アイスアリーナの雰囲気は凄かった、と思います。バンクーバーはNHLを主戦場とするカナックスの本拠地でもあり,ホッケー・タウンと言っていいでしょう。けれど,NHLでなかなかカナダ勢は覇権を握れずにいます。アメリカ勢の後塵を拝する形が続いているわけです。となれば,オリンピックという舞台,しかも自分たちの本拠地で彼らに再びチャンピオン,という称号を奪われるわけにはいかない,という雰囲気も,どこかにあったように思うのです。


 それだけ,アイスホッケーがカナダという土地に根付いている,と言えるのかも知れません。


 アウトサイドとしては,確かに楽しめる試合でありました。けれど,どこかで冷静に決勝戦を見てしまっていたのも確かです。さらには,予選リーグの段階で「寂しさ」を感じもしました。「オレたちのチーム」を見つけることができなかったから,であります。


 代表チーム,その基礎構造になるリーグ戦を思えば,オリンピックのような舞台というのは厳しいだろう,と確かに思うところはあります。日本だけではリーグ戦を開催できず,「やむを得ず」国際リーグ戦という形に活路を求めているわけですし,現状においてアジアリーグを主戦場としているクラブは4つだけ,です。かつて,リーグ戦を支えてきた強豪は,廃部という事態に至っています。もちろん,アイスバックスのようにチームを引き継いで活動を継続していくクラブチームもありますが,どうしてもフィナンシャルな部分での脆弱性が付きまとってしまいます。スポンサーへの訴求度を高めるためにも,露出をどう高めるか,競技が持っている魅力を,特に本拠地以外のひとたちにどのようにして訴えかけていくかなど,すべきことが山積してしまっているように映ります。代表チームという頂点を,さらなる高みへと押し上げていけるだけの裾野になっているか,といえば,いささか厳しいというのも確かだな,と思うのです。


 ある意味,オリンピックという舞台から遠ざかる方向でギアが回ってしまっているように思える,アイスホッケー。このギアを,オリンピックという舞台へと再び近付けていく方向で回していく,というのは現状の枠組みでは難しい,かも知れません。オリンピックを契機として,スポーツの支え方が考えられるようになったか,と思えるのですが,アイスホッケーにあっても,代表という高みを押し上げるためには,どのような支え方が求められるのか,徹底的に考え抜くべき時期なのだろう,という思いがあります。